山﨑ゆかさん「島にいる温人へ」 | 第1回ぐるっとママ懸賞作文

「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

第1回ぐるっとママ懸賞作文

山﨑ゆかさん「島にいる温人へ」

『離れていてもずっと一緒。ずっとママは味方だよ。』
 

壱岐の生活は楽しいですか?お盆に4か月ぶりに温人の顔をみた時のドキドキする気持ちは初めて感じた感情でした。

12歳で家を出て、離島に留学するという選択を受け入れ、パパに連れられて旅立った時は、壱岐島へ行かせようと決めたのはママなのにこれでよかったのか、手を離してよかったのか頭の中がぐるぐるしました。

5月には『僕、ここで3年いるから。』と言ってくれた時は安堵もしつつ、成長を感じました。8月に帰宅した時は身長も春から5cmものびてママを追い越すくらいになっていましたね。あんなに小さかった子が!

温人がママのお腹にきたのは2009年1月の終わり。結婚式を終えてしばらく経った頃。まだ京都市内に住んでいて、大学病院で赤ちゃんの心臓の麻酔ばかりしている頃でした。

手術が無事に終わったのを確認して安心したのも束の間、フラッと倒れてしまったのが始まりでした。おかしいなぁ、調べてみたら温人がお腹にいました。そう、豆ちゃんという名前で呼んでいました。だって超音波で見るとお豆のようだったから。超音波で初めて豆ちゃんに出会った時診てもらった産婦人科の先生は今ママが働いているところだったのは縁かしら?おめでとうございます!ってとっても明るい声で言われたのを今でもよく覚えています。

豆ちゃんがお腹にこなかったら、宇治にも引っ越してきていないかもね?

大きいお腹でジィジバァバのお家だったマンションの隣に引っ越してきて、やっとゆっくり妊婦生活、と思ったら豆が小さすぎて、総合病院に強制入院になっちゃったの。

丸っこい白い車温人も覚えていますか?ポルテでパパに送ってもらって。あんまり寂しくて京都タワーを眺めながら泣いてたの。

点滴がついてるわけでなくあまりにも暇で毎日指人形を作ってた。ほら今のおうちにも飾ってあるでしょう?指人形が一つ二つ増えて10個になれば生まれるかなぁなんて思いながら。

外に出てもOKだったから毎日東福寺を散歩して、楊貴妃観音にお祈りしたり、紅葉まじかの山門に行ったり。それでも生まれる気配はないですねぇ。なんて夕方には言われた22日。パパが黄色いバイクで仕事の後来てくれたらどんどんお腹が張ってきてね。小さい温人もしんどくて帝王切開?!なんてこともちらっと言われたけど頑張ってくれたの。指人形もまだ7個目だったのにね?

『呼吸に合わせて腰を押してあげてね?』と助産師に言われたパパが『僕の呼吸にですか?』なんて馬鹿なことを言ってた覚えがある。ママの呼吸に決まってるよね?分娩室に入ったらあっという間のお産だった。小さくておむすびちゃんみたいな赤ちゃん。たった2200グラムしかなかったけどとってもげんきに生まれてきてくれたのよ。朝の5:23分。パパったら眠たいのにお蕎麦だけ啜って急いで出生届出しに行ってた。急がなくていいのにね。豆ちゃんは温人という名前に。あったかい人、人が集まる温泉のようなあったかい人になってほしい、そんな意味を込めて。

あれから12年。温人には二人の弟と二人の妹。いっつも頼りになるから頼っちゃうけど。お正月に帰る頃にはママの身長を越してるね。離れていてもいつも思ってるし、いつでも飛んでいくからね。

 

京都府 山﨑ゆかさん
題名:島にいる温人へ
子どもへ伝えたい言葉:「離れていてもずっと一緒。ずっとママは味方だよ。⁡」