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「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

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3hmamaさん「4歳の娘と歩んだ自宅出産までの軌跡とこれから」

3hmamaさん「4歳の娘と歩んだ自宅出産までの...

『生まれてきてくれてありがとう。態度で、言葉で愛を伝えることの大切さを教えてくれてありがとう。』   「自宅出産」と聞くと、何らかのハプニングで、病院まで辿り着けずに自宅で産むことになってしまった、と想像する人も少なくないと思います。しかし私は、自ら望んで、4歳の娘と考えたバースプランを実現するため、この夏、3人目を念願の自宅で出産しました。 我が家は夫、長女4歳、長男2歳の4人家族。昨年春には3年間の育休から社会復帰し、仕事、育児、家事をこなすのに精一杯の日々でした。3歳まで自宅で過ごしていた長女は、とにかくママっこで、入園後、毎日保育園に行きたくないと泣き叫んで大変でした。あまりの嫌がりように、私も余裕がなくきつく怒ってしまうこともしばしば。そんな時長女から「ひなちゃんのことかわいくないの?産まなきゃよかったと思っているの?」なんて辛辣な言葉をかけられ、そんなことを言わせてしまったことへの驚きと罪悪感でうまくフォローできず泣くことしかできませんでした。そんな繊細な長女に3人目を授かったことを伝えたら、大喜び。そして、長男出産時に立ち会ってくれたときのことをよく覚えていて、「ママ、赤ちゃん産むときまたお腹痛くて泣いちゃうでしょ?一緒にいてあげるからね。大丈夫。」と言ってくれました。この一言で、このコロナ禍でも家族全員でお産に臨めるよう、自宅出産を決意しました。 妊娠を伝えてからというもの、毎晩寝る前にお腹にクリームを塗っては赤ちゃんに話しかけてくれ、赤ちゃんがどうやって生まれてくるのかについても疑問に思い、過程がわかる絵本をプレゼントしたら、何度も繰り返し読んで、勉強していました。30週以降の健診は一緒に助産院に来て赤ちゃんの心音を聞いたり、お腹を触って赤ちゃんを感じたり。一時逆子と言われていましたが、毎日「頭を下にするんだよ~」と話しかけてくれ、そのおかげで次の健診では逆子が治っていました。辛いこともたくさんありましたが、長女のおかげで本当に幸せな妊娠生活でした。長女の描くバースプランは、「赤ちゃんが生まれる時ママのそばにいて手を握ってあげること」「生まれたら一番に抱っこすること」でした。そして迎えた出産当日。陣痛開始時は腰をさすり、生まれる直前からは私の左横に寄り添って「頑張って」と手を握り、一番近くで次女の誕生を見守ってくれました。そして念願のファースト抱っこもさせてあげられて、その時の嬉しそうな、誇らしげな娘の表情は一生忘れません。 出産後、「ママ、どうして赤ちゃん産むとき泣いちゃったの?痛いから?」と聞いてきた娘に私は、「痛かったからもあるけど、それよりもやっと会えて嬉しくて泣いたんだよ。ひなちゃんが生まれてきた時も同じように泣いたんだよ。あなたを産まなきゃよかったなんて思ったことは一度もないし、この先も絶対にないよ。お腹にいる時から、出産までたくさん支えてくれてありがとう。これからもよろしくね。」と伝えました。この時やっとあの時のフォローができました。 次女を出産して約1ヶ月。長女は毎日次女を愛で、毎晩寝る前に私に「ママ、はーちゃんを産んでくれてありがとう」と伝えてくれます。そして、「最近ママ可愛いね」とも。2歳の長男も、まだ幼いながらに一生懸命妹を可愛がってくれています。 我が子を可愛くない親なんていないと思います。それでも、可愛いだけでは乗り越えられない辛さが育児にはあって、怒っては寝顔を見て反省する日々。それでも子供は、親に純粋に愛を伝えてくれます。子供と同じように、もっと純粋に、素直に向き合ったら、笑顔いっぱいの、可愛いママにやっと私もなれました。愛を態度で、言葉で、「伝えること」の大切さを教えてくれた長女。どんなに伝えても、過ぎることはないと思います。もっともっと子供たちや夫に愛を伝えて、残りあと何年一緒にいられるかわからないこの毎日を大切にしていきたいと思います。   京都府 3hmamaさん 題名:4歳の娘と歩んだ自宅出産までの軌跡とこれから 子どもへ伝えたい言葉:「生まれてきてくれてありがとう。態度で、言葉で愛を伝えることの大切さを教えてくれてありがとう。」  

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しょーさん「長い長い出産」

しょーさん「長い長い出産」

『みんなが待ちわびた赤ちゃんが生まれた!』   「ふぎゃあ、ふぎゃあー!」と元気な泣き声。大きな声で分娩室に響く声を聞いて、ようやく終わったという安堵感が胸の中に広がった。陣痛が始まって26時間。初めてのお産は長い長い出産に感じた。 助産師さんがあなたを胸の上に抱かせてくれた。赤黒くてしわしわでちょっと黄色い感じの赤ちゃん。手も足も爪もまつ毛も、どこも驚くほど小さい。そうっと触らないと壊れてしまいそうでドキドキしたけれど、その小ささと柔らかい感触がたまらかく可愛らしかった。大声で泣いたのは少しだけで、胸の上でおっぱいを飲むしぐさをした後は眠っていった。  私達のところに来てくれた赤ちゃん、それがあーちゃん、あなただよ。結婚して3年目の初夏だった。お盆休みに家族に妊娠の報告をすると皆とっても喜んでいた。水城のおおばばは、報告を聞いたとたん声を上げて嬉し泣きをしていたよ。 新田のじいじは、かずみに私より先に妊娠したことを話してしまった!私の初めての赤ちゃんは、家族にとっては初孫だったり初ひ孫だったので、みんながあーちゃんの誕生を待ちわびていたんだよ。   妊娠してからあーちゃんが生まれるまで、不思議な体験がたくさんあった。  始めはつわり。まいにち気持ち悪くて、色々な物が食べられなくなった。 食べられた物は、お米と味噌汁と漬物。 あれ?これって今あーちゃんの好きな食べ物だ!お腹の中にいたときから好きだったのかな?だから私にたくさん食べて欲しかったのね。  次に胎動(赤ちゃんの動きを感じること)。10月の末頃から気づくようになった。胎動はどんどん増えて、とってもよく動くので男の子だと思っていたよ。  そして出産。陣痛は出産予定日(赤ちゃんの生まれてくる頃の日)が近づくと始まることが多いんだけど、私は予定日を過ぎても始まらなかった。焦った私はスクワットをしたり、掃除に散歩、ゴルフのスイングなどもやってみた。そうしたらクタクタに動いた夜中に陣痛が始まった! 本当は破水(赤ちゃんのお部屋にあるお水みたいなものが出ること)もしていたんだけど、トイレに行った時だったので全く気づいていなかった。 痛みが始まってからは布団に転がって何度も何度も耐えながら朝を待った。朝になり、ばあばと一緒に病院へ向かった。診察してもらって陣痛が始まっていることがわかった。 でも、まだまだ産まれそうにないので病室で休んだり、病院の中を歩いたりしたよ。痛みは、なんどもなんども、繰り返し繰り返し続いた。痛みは、座っている姿勢によっても変化するんだけど、私は途中から痛みが弱くなっていたので横向きを勧められた。 この横向きが1番痛かった。それと出産が近づいてきて、あーちゃんの頭が私の膀胱(おしっこをためる袋のこと)を押さえてしまっていた。トイレに行っておしっこをしても、なかなか出なくて辛かったのを記憶しているよ。  結局、陣痛が弱くなってしまい、生まれてくるあなたも疲れてきたようで、先生や助産師さんに手伝ってもらってもらうことになった。 吸引分娩と言う方法で、先生に少し頭を引っ張ってもらってあなたが生まれた!そして、生まれたあなたの臍の緒(赤ちゃんに栄養を届けていたホース)をパパが切るのを手伝ってくれたよ。  これが、あーちゃんあなたの出産。何より大事なことは、私もあなたも命をかけた出産を終えたこと。そして、生きている人全てが同じ体験をしているということ。それを忘れずに、これからもその命を大切に幸せな每日を過ごしてね。   神奈川県 しょーさん 題名:長い長い出産 子どもへ伝えたい言葉:「みんなが待ちわびた赤ちゃんが生まれた!」

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まいまいさん「もう旅行に一緒にいけないなんて…。」

まいまいさん「もう旅行に一緒にいけないなんて…。...

『今は親のありがたみなんてわからないけれど、離れたり、少しずつ大人になっていって気がつくこともたくさん。一緒に成長しよう!』   我が家は、小1、中1、高1の五人家族。 今年は三人とも、入学式、卒業式も全て同時の節目の年でした。 年齢がバラバラだから、なおさら我慢もすることも多く…。 みんながテレビを見る時間、三人が三人とも見たいものが違って、みることができなかったり…。 三番目が見てるものは、上二人が面白くなかったり…。 年齢や遊び方も全然違うからこそ、難しいとこ感じる日々。 兄や姉がしていることを同じようにしたくて、 上二人の大切なものをわからずに触ってしまう三番目。 最近になり、あまり意見を言わなかった真ん中の娘が、思ってることを口に出して言うようになり、つい衝突ばかり…。 まだ小さな頃は、ごめん。と言って謝ってくれていた素直な気持ちが、全て、 『ママだってできてない。』矛盾してると指摘をされ…。 これは、反抗期なんだな…とわかってはいるものの、言わないわけにはいかず…。 怒ってばかり…。 本当に反抗期を難しいと感じている日々。 こんなはずじゃなかった。 こんなふうに怒ってばかりで育てようと思ってなかった。 小さな頃から、家族で出かけるのが好きで、一緒に出かけて楽しむことが楽しくて、よくキャンプに行ったり、釣りに行ったり、家族で毎週のように出かけていました。 たくさんのことを一緒に経験したい、教えたい…。 成長過程で当たり前なのかもしれない。 『もう、一緒に行かない。家で留守番しとく』 『いってきていいよ。』 突然そんなふうに言われ出し、家族五人で出かけることが出来なくなりました。 たしかに、わたしもそうだった。 高校生の頃から、友達と出かけることの方が楽しくて。 家族や親戚みんな仲が良くて、旅行に毎年出かけていたのも、参加しなくなって…。 数年間、親と弟だけで参加していました…。 祖母や祖父と一緒に住んでいたこともあり、口うるさく言われるのが、人よりも2倍あり、しんどくなり。 あの頃の親の気持ちが、ようやく親になりその辛さがよくわかり…。 わたしは、どうしてあの頃一緒に旅行に行かなかったんだろう…と今は特に思います。 結婚する時に、親への手紙を書きました。 思っている以上に手が進まなくて、、。 当然守られていた家から出ることへの不安感。 手紙を書きながら、泣きそうになり…。 あんなに好き勝手して、出かけてばかりいた私なのに、結婚することにワクワクして過ごしていたのに…。 親や祖母たちは、ずっと心配で口うるさかったのをわかっていただけに… 素直じゃない私は、反抗して、迷惑かけて。 結婚して、家を出る時に親のありがたみをわかりました。 家近くだから、いつでも帰れるのに。なんて主人に言われたのを思い出します。 永遠の別れではないのに。。。 親の手助けなしで、自分達で全てをやろうと思っていたからかもわからない。 今度は、母になり、私が子供たちを育てる番になりました。 子供ってそんなものだろ。 頭ではわかっていても、つい、言いすぎてしまう。 自分のことで楽しむよりも、子供たちを優先してしまってたからかもしれない。 あんまり構わなくてもいいのかも。 子供って勝手に育つ。 わかっていても、心配で、口うるさく言ってしまう…。 親になり、ますます親のことを尊敬するようになりました。 そんな最近家族旅行にもう来ない!と長男。 あぁ、そんな年齢になったんだ。。。 わかっていても、無理にでも、いく?と誘ってしまう私がいます。 コロナ禍になり、ますます後悔をしない生き方をしたいと感じます。 子供たちには、早く気がついてほしい。 人は、一人では生きることはできない。 コロナ禍になり、人と人との繋がりが本当に難しい世の中になってしまった。 まだまだ若いから、時間はたっぷりあると思うけれど、後悔しないように、まっすぐと自分のやりたいことに進んでいってほしい。 そして、家族の時間の大切さなど、後悔をしないように、過ごしてほしい。 五人家族なのに、4人家族の写真になってしまうのは、本当に寂しい。 アルバムを見返しても、悲しくなります。 反抗期真っ最中で、なかなか家族で感情がはいりうまく伝えることはできないけれど、まだまだ家族でお出かけ楽しみたいです。   大阪府 まいまいさん 題名:もう旅行に一緒にいけないなんて…。 子どもへ伝えたい言葉:「今は親のありがたみなんてわからないけれど、離れたり、少しずつ大人になっていって気がつくこともたくさん。一緒に成長しよう!」

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山﨑ゆかさん「島にいる温人へ」

山﨑ゆかさん「島にいる温人へ」

『離れていてもずっと一緒。ずっとママは味方だよ。』   壱岐の生活は楽しいですか?お盆に4か月ぶりに温人の顔をみた時のドキドキする気持ちは初めて感じた感情でした。 12歳で家を出て、離島に留学するという選択を受け入れ、パパに連れられて旅立った時は、壱岐島へ行かせようと決めたのはママなのにこれでよかったのか、手を離してよかったのか頭の中がぐるぐるしました。 5月には『僕、ここで3年いるから。』と言ってくれた時は安堵もしつつ、成長を感じました。8月に帰宅した時は身長も春から5cmものびてママを追い越すくらいになっていましたね。あんなに小さかった子が! 温人がママのお腹にきたのは2009年1月の終わり。結婚式を終えてしばらく経った頃。まだ京都市内に住んでいて、大学病院で赤ちゃんの心臓の麻酔ばかりしている頃でした。 手術が無事に終わったのを確認して安心したのも束の間、フラッと倒れてしまったのが始まりでした。おかしいなぁ、調べてみたら温人がお腹にいました。そう、豆ちゃんという名前で呼んでいました。だって超音波で見るとお豆のようだったから。超音波で初めて豆ちゃんに出会った時診てもらった産婦人科の先生は今ママが働いているところだったのは縁かしら?おめでとうございます!ってとっても明るい声で言われたのを今でもよく覚えています。 豆ちゃんがお腹にこなかったら、宇治にも引っ越してきていないかもね? 大きいお腹でジィジバァバのお家だったマンションの隣に引っ越してきて、やっとゆっくり妊婦生活、と思ったら豆が小さすぎて、総合病院に強制入院になっちゃったの。 丸っこい白い車温人も覚えていますか?ポルテでパパに送ってもらって。あんまり寂しくて京都タワーを眺めながら泣いてたの。 点滴がついてるわけでなくあまりにも暇で毎日指人形を作ってた。ほら今のおうちにも飾ってあるでしょう?指人形が一つ二つ増えて10個になれば生まれるかなぁなんて思いながら。 外に出てもOKだったから毎日東福寺を散歩して、楊貴妃観音にお祈りしたり、紅葉まじかの山門に行ったり。それでも生まれる気配はないですねぇ。なんて夕方には言われた22日。パパが黄色いバイクで仕事の後来てくれたらどんどんお腹が張ってきてね。小さい温人もしんどくて帝王切開?!なんてこともちらっと言われたけど頑張ってくれたの。指人形もまだ7個目だったのにね? 『呼吸に合わせて腰を押してあげてね?』と助産師に言われたパパが『僕の呼吸にですか?』なんて馬鹿なことを言ってた覚えがある。ママの呼吸に決まってるよね?分娩室に入ったらあっという間のお産だった。小さくておむすびちゃんみたいな赤ちゃん。たった2200グラムしかなかったけどとってもげんきに生まれてきてくれたのよ。朝の5:23分。パパったら眠たいのにお蕎麦だけ啜って急いで出生届出しに行ってた。急がなくていいのにね。豆ちゃんは温人という名前に。あったかい人、人が集まる温泉のようなあったかい人になってほしい、そんな意味を込めて。 あれから12年。温人には二人の弟と二人の妹。いっつも頼りになるから頼っちゃうけど。お正月に帰る頃にはママの身長を越してるね。離れていてもいつも思ってるし、いつでも飛んでいくからね。   京都府 山﨑ゆかさん 題名:島にいる温人へ 子どもへ伝えたい言葉:「離れていてもずっと一緒。ずっとママは味方だよ。⁡」

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♪ゆっこ♪さん「いつも、ユーモアと笑いをありがとう」

♪ゆっこ♪さん「いつも、ユーモアと笑いをありがと...

『生まれてきてくれて、ありがとう。太陽のように、眩しく、温かく、時に熱い君に届けるお母さんからの愛の言葉』    暑い夏休み。小学校6年生になった思春期真っ只中の君は、勉強のために、夏休みの多くの時間を自習室ですごしているね。そんな君に、せめて母親らしいことを何か一つ頑張ろうと思って、出勤前にお弁当を準備する私。あぁ、今日も自習室へ行って頑張るのだな、栄養満点のお弁当を食べて、夢に向かって頑張れ!と思って、今日も出勤。真夏の太陽が本当に眩しい。  君が生まれたのは、今から12年前。お母さんはその時27歳、生まれ育った土地を離れて暮らす夫婦のもとに生まれてきました。お母さんは職場の中では出産が早かった方で、地域の子育て支援の方に色々と教えていただく機会に恵まれていたものの、インターネットや育児本などを頼りにしながら、一日の大半を君と2人きりで過ごしました。本当に可愛い赤ちゃんで、目に入れても痛くないほどだったけれど、初めて尽くし、知らないこと尽くしで、たくさん泣いたし心配もしたし、そして愛おしさでいっぱいだった日々が、本当に懐かしい。  授乳をすること、すやすやと寝かせることが、こんなに大変だなんて知らなくて、一日1日終えるごとに、心身共にくたくたになりました。1番心配だったのは、アレルギー反応で身体中が鱗のようにバリバリかさかさになってしまって、とにかく一日中痒そうにしていたこと。予防接種のスケジュール通りに、沢山の荷物を持って病院に通っていた時、周りの赤ちゃんのツヤツヤピカピカなお肌と比べて、我が子はなんて可哀想…だなんて、ひどく落ち込んだこともありました。  治療がうまく進んで、君が快適に過ごせるようになってきた頃に、とにかくお母さんが夢中になったことは、君の服を作ること。寝たな〜と思ったら、型紙を写したり布を裁ったり、ミシンで縫ったり。世界で一つしかない君だけのお洋服を着せてお出かけして、こんなに撮ってどうするのかというぐらい、写真もいっぱい撮りました。ありがたいことに、今も昔も鈍感君で、一度深い眠りに落ちると、まとまった時間寝てくれたので、そんな楽しい経験ができました。  初めての赤ちゃんと、どうやって遊んだらいいのかよくわからなかったので、まだ首の据わらない時期から、とにかく沢山絵本を読んであげました。いろいろな本、同じ本を何回も何回も読んであげていたら、まだ分かるはずもない時期なのに、何だか楽しそうにしていた君。きっと、お母さんが楽しいと感じていたから、楽しそうに見えただけかしら。  いつの間にか、よく喋るようになり、色々な事に興味を持ち、質問でいっぱいの毎日のはじまり。アニメで人工衛星に興味を持ったことをきっかけに、何となくプラネタリュウムに連れていったら、宇宙のことが大好きになって、毎日毎日、一日中ありとあらゆる宇宙関連の本を読みあさっていたね。初めはお母さんが教えてあげることがあったけれど、今はお母さんが聞いたことに、答えてくれるようになり、立場の逆転!親として、こんなに嬉しいことはないですよ。  元気に学校に通い、良いことも悪いことも色々ある毎日のようだけれど、いつも楽しいこと、面白いことに焦点を当てて過ごしている様子が、本当に眩しいです。うっかりもののお母さんがご飯を炊くのを忘れていた時に、たまたま偶然かもしれないけれどご飯を炊いて帰宅を待っていた時のことは忘れません。ずっと頑張ってきたピアノのコンクール。どうか出番が無事に終わりますように、とステージの袖でドキドキハラハラしながら見守ったこと。演奏を終えた君を、抱きかかえたこと。とっても熱い思い出です。  どれもこれも、君がいなければ経験しないことばかりでした。生まれてきてくれて、ありがとう。夢に向かって、自分らしい人生を謳歌できるように、お弁当には栄養満点のおかずと、愛情を詰め込むことをこれからも続けます。   大阪府 ♪ゆっこ♪さん 題名:いつも、ユーモアと笑いをありがとう 子どもへ伝えたい言葉:「生まれてきてくれて、ありがとう。太陽のように、眩しく、温かく、時に熱い君に届けるお母さんからの愛の言葉⁡」

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北未香緒里さん「選んできてくれたんだね」

北未香緒里さん「選んできてくれたんだね」

『背負い苦しい生き方をしていた私を助けてくれたのがあなたです』    現代のほとんどの人が恐れるもの。それが陣痛・出産です。鼻からスイカ。男の人には耐えられないとよく言われます。けれど、私は「陣痛・出産は痛くない」ことを私の元に来てくれた3人の子供達全員から教えてもらいました。それを一番に教えてくれたのは今から7年半前に出産した第一子です。 陣痛や出産自体は私自身ももちろんとてもドキドキしていました。しかし、ある大先輩お母さん(=おばあちゃん)の出産話を聞いて衝撃が走ります。 「子供を産むって最高に気持ちいいわよ!夜の営みと一緒なの♪何度でも産みたいくらい!」 初めて聞いたときは耳を疑いました。 たしかに今では考えられない。けれど、江戸時代では東京・大阪間を3日間で走ることができた男性、米俵6俵(300kg)をかつぐことができた女性がいた。ということは、人間が本来持っている力は現代人では想像できないものがあるということ。そして、江戸時代の人たちに一番近いのが、おばあちゃんたちなのだ。その話を聞いて以来、陣痛・出産に快感を感じた人がいるなら、その快感の方を信じてどうやって同じようにできるようにするかだけを考えて準備をしていきました。 さあいよいよ本番。陣痛が来た時はあまりよくわかっておらず、ぐぐぐぐぐ~~と、内臓が動いている感じ。何回か来てから「あれ?これ陣痛かな?」と思って時間を計り始めました。 痛さはそこまでではない。今でも覚えているのは不安感です。これが陣痛なのか?これから何が起こるの?イメトレはしていたけれど、よくわからなくて不安。夫は偶然自宅にいたけれど、お産については無知。とにかくお産というこれから訪れることについて頼れる人がいない。この環境が不安でした。初産の場合、10分間隔になっても1時間自宅で待つ必要があります。その2時間くらいが気持ち的には一番辛かった時間。 不安だった2時間。やったことは母親学級で言われていた深呼吸。とにかく息を深く吐く。あ、波が来た、と思ったらとにかく息を吐く。およそ10秒くらい。いけるところまで。出る息が無くなっても、吐く。吐く。吐き続ける。一回の陣痛の波でうまくいくと2回くらい息を吐いていました。 すると、感じ始めたのです。わが子の頭の位置がさっきの陣痛の時より少し下がってきていると。この感動と言ったらありませんでした。 お腹の中にいる我が子が、母の身体のことを想いやりながら、考えながら、少しずつ少しずつ下りてきてくれている。それがとてつもなくしあわせで、しあわせで。波が来ている時は、息を吐き、 「大丈夫だよ。お母さんの身体、やわらか~くしておくからね。ふわふわ~。」 波が落ち着いたら、 「また少し進んだね~。楽しいね~♪うれしいね~💛きっともうすぐ会えるね~💛」 とお腹でがんばっている我が子と会話する。 一緒に歩んでる。進んでる。言葉ではなく、感覚で、お腹にいる生命とやりとりをする。はじめての共同作業。誰かとこんなに一体になれた経験したことなんてもちろんありません。だから私の陣痛・出産の記憶の中に痛いという記憶はありません。耐えるという感覚もありません。むしろ、自分自身はどんどん柔らかくなっていくから、そんな風に思わなかったのだと思います。  その後、私は(今振り返ってみると)産後うつとなり、がんばること、自分で背負うことをやっていては生きていけないということに7年かけて気づきます。その起点となったのは間違いなく、長男との出産体験でした。 私たち自身が持つ力を引き出してあげられれば、無限のパワーが溢れてくる。私は全世界の女性たちとつながり、出産をしあわせな出産に変えていきたい。 こんな使命を伝えてくれたのはえいただね。きちんと話していなかったあなたの出産話を第三子が生まれた後に話したね。その時のはにかんで嬉しそうな笑顔が私の目に焼き付いています。本当に本当にありがとう。あなたがいなければ下2人を育てることはできなかった。自ら進んでお手伝いしてくれるあなたは、少し無理していた時もあったかもしれない。でもきっとあなたが最初に来てくれたことは運命。本当にありがとう♡大好きだよ。   大阪府 北未香緒里さん 題名:選んできてくれたんだね 子どもへ伝えたい言葉:「背負い苦しい生き方をしていた私を助けてくれたのがあなたです⁡」

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塩むすび食べたいさん「私の世界を変えた2つの出産」

塩むすび食べたいさん「私の世界を変えた2つの出産...

『2人の存在が今の私の生きる源です。元気に生きてくれてありがとう。これからも素敵な世界を見せてください。』   私には4歳の長女と2歳半になる長男がいます。 私にとってはとても可愛い年子の姉弟で2人とも同じ産院で産まれました。 生まれた季節は夏と冬、真逆ですが出産の状況もまた真逆でした。 ⁡ 4歳の長女は発達ゆっくりさんでこの春からは幼稚園へ入園、児童発達支援と併用しながら通園しています。 ⁡ 婚姻届を提出する日に妊娠が発覚し、3日後の結婚式には頭の中は妊娠の事でいっぱいでソワソワした気持ちで式を挙げ、ハネムーンはマタニティ旅行と彼女は私達夫婦の始まりからずっとそばで見守ってくれていました。 初めての妊娠出産で彼女の姿を見たときの味わった事のない幸福感は今でも忘れられません。 夫が初めて抱っこした時も私と同じように感じた絵も言われぬ可愛さに感動した出来事については今でも親バカ夫婦の話題にのぼるのでした。 ⁡ 2歳半の長男は先天性疾患により生後1ヶ月で気管切開をしています。痰の吸引が必要ないわゆる動ける医療的ケア児です。 妊娠中は娘の時のようなトラブルもなく順調に、娘より大きくお腹の中で育ち、娘の時と同じく小雨の朝に陣痛に耐えて向かった産院で娘の時より大きな産声を上げて生まれてきてくれたのでした。 初めて見る彼の姿に一年半前の感情がカムバックするかと思いきや抱っこした時の呼吸の荒さに不安を覚え赤黒くへしゃげたような顔面に少し違和感を抱くのでした。 程なくして息子は肺気胸で別の病院のNICUへ搬送されることとなりました。搬送直前に見た保育器の中で酸素マスクを付けられた小さな息子の尋常ではない事態に息子が去った後ワッと泣き崩れるのでした。 '心配する事はない、搬送した方が安心だから'そう産院の先生が仰ったのは出産直後の私の体を気遣っての事でした。 実はこの裏で夫には'命が危ないかもしれない'と仰っていたのでした。 事態は深刻で搬送された病院では顎が小さい為に挿管が難しく処置ができないと別の病院に再搬送され、肺気胸だけでなく小顎症、舌根沈下、口蓋裂、右腎盂拡張といった幾つもの先天性疾患が見つかり後に気管切開を余儀なくされたのでした。 彼が生まれて私達夫婦が気管切開を決心するまで、そして手技や体制を整えてお家に迎える退院までとても濃い3ヶ月でした。 長女の時は完全ミルク派で息子もそうなるだろうと思っていた私は一変、離れた息子との唯一の架け橋が母乳であると考え必死に搾乳していましたが気管切開の話が出た事でショックで母乳が止まってしまうほどでした。 ⁡ あれほど望んだ退院後の息子との生活は頻回なたんの吸引と口からミルクを飲めずに鼻から胃へ直接ミルクを注入する頻回な経鼻栄養の医療的ケアに鳴り響く酸素モニターの音にまさに一睡も許されないといったような想像を絶する大変さでした。 当時まだ2歳にもならない上の子の保育はというと、とてもできる状況になく、彼女に対して不憫に思うのでした。その為看護理由で入園を希望し決定していた保育園はというとコロナ禍で登園は延期され、この月齢の低い大変な時期を過ごしたのでした。 訪問看護も利用していましたが私が家に人が来るのを嫌うため利用頻度は少なくそのくせ限界を迎えて大声を上げたり泣き叫ぶ事もありました。 ⁡ その後もいろんな事がありましたが息子の今は経鼻栄養は卒業して看護師さんのいる児童発達支援デイへ通ったりと私の時間も出来てきました。 ⁡ 娘を産んだ時の幸福感がその後の息子を産んだ時の心の支えでした。 夫が息子の命の危機を告げられ付き添ったあの出来事を経験して時々口にする「命があるだけありがたい」という息子への思いだったり 生まれて3ヶ月間の入院で離れて暮らした事、 息子の付き添い入院で娘と離れて暮らした事、 ケアが大変で外出すらままならなかった事、 全ての事があって今家族が揃って過ごせていることにとても感謝しています。   兵庫県 塩むすび食べたいさん 題名:私の世界を変えた2つの出産 子どもへ伝えたい言葉:「2人の存在が今の私の生きる源です。元気に生きてくれてありがとう。これからも素敵な世界を見せてください。⁡」  

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