塩むすび食べたいさん「私の世界を変えた2つの出産」 | 第1回ぐるっとママ懸賞作文

「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

第1回ぐるっとママ懸賞作文

塩むすび食べたいさん「私の世界を変えた2つの出産」

『2人の存在が今の私の生きる源です。元気に生きてくれてありがとう。これからも素敵な世界を見せてください。』
 

私には4歳の長女と2歳半になる長男がいます。
私にとってはとても可愛い年子の姉弟で2人とも同じ産院で産まれました。
生まれた季節は夏と冬、真逆ですが出産の状況もまた真逆でした。

4歳の長女は発達ゆっくりさんでこの春からは幼稚園へ入園、児童発達支援と併用しながら通園しています。

婚姻届を提出する日に妊娠が発覚し、3日後の結婚式には頭の中は妊娠の事でいっぱいでソワソワした気持ちで式を挙げ、ハネムーンはマタニティ旅行と彼女は私達夫婦の始まりからずっとそばで見守ってくれていました。
初めての妊娠出産で彼女の姿を見たときの味わった事のない幸福感は今でも忘れられません。
夫が初めて抱っこした時も私と同じように感じた絵も言われぬ可愛さに感動した出来事については今でも親バカ夫婦の話題にのぼるのでした。

2歳半の長男は先天性疾患により生後1ヶ月で気管切開をしています。痰の吸引が必要ないわゆる動ける医療的ケア児です。
妊娠中は娘の時のようなトラブルもなく順調に、娘より大きくお腹の中で育ち、娘の時と同じく小雨の朝に陣痛に耐えて向かった産院で娘の時より大きな産声を上げて生まれてきてくれたのでした。
初めて見る彼の姿に一年半前の感情がカムバックするかと思いきや抱っこした時の呼吸の荒さに不安を覚え赤黒くへしゃげたような顔面に少し違和感を抱くのでした。
程なくして息子は肺気胸で別の病院のNICUへ搬送されることとなりました。搬送直前に見た保育器の中で酸素マスクを付けられた小さな息子の尋常ではない事態に息子が去った後ワッと泣き崩れるのでした。
'心配する事はない、搬送した方が安心だから'そう産院の先生が仰ったのは出産直後の私の体を気遣っての事でした。
実はこの裏で夫には'命が危ないかもしれない'と仰っていたのでした。
事態は深刻で搬送された病院では顎が小さい為に挿管が難しく処置ができないと別の病院に再搬送され、肺気胸だけでなく小顎症、舌根沈下、口蓋裂、右腎盂拡張といった幾つもの先天性疾患が見つかり後に気管切開を余儀なくされたのでした。
彼が生まれて私達夫婦が気管切開を決心するまで、そして手技や体制を整えてお家に迎える退院までとても濃い3ヶ月でした。
長女の時は完全ミルク派で息子もそうなるだろうと思っていた私は一変、離れた息子との唯一の架け橋が母乳であると考え必死に搾乳していましたが気管切開の話が出た事でショックで母乳が止まってしまうほどでした。

あれほど望んだ退院後の息子との生活は頻回なたんの吸引と口からミルクを飲めずに鼻から胃へ直接ミルクを注入する頻回な経鼻栄養の医療的ケアに鳴り響く酸素モニターの音にまさに一睡も許されないといったような想像を絶する大変さでした。
当時まだ2歳にもならない上の子の保育はというと、とてもできる状況になく、彼女に対して不憫に思うのでした。その為看護理由で入園を希望し決定していた保育園はというとコロナ禍で登園は延期され、この月齢の低い大変な時期を過ごしたのでした。
訪問看護も利用していましたが私が家に人が来るのを嫌うため利用頻度は少なくそのくせ限界を迎えて大声を上げたり泣き叫ぶ事もありました。

その後もいろんな事がありましたが息子の今は経鼻栄養は卒業して看護師さんのいる児童発達支援デイへ通ったりと私の時間も出来てきました。

娘を産んだ時の幸福感がその後の息子を産んだ時の心の支えでした。
夫が息子の命の危機を告げられ付き添ったあの出来事を経験して時々口にする「命があるだけありがたい」という息子への思いだったり
生まれて3ヶ月間の入院で離れて暮らした事、
息子の付き添い入院で娘と離れて暮らした事、
ケアが大変で外出すらままならなかった事、
全ての事があって今家族が揃って過ごせていることにとても感謝しています。

 

兵庫県 塩むすび食べたいさん
題名:私の世界を変えた2つの出産
子どもへ伝えたい言葉:「2人の存在が今の私の生きる源です。元気に生きてくれてありがとう。これからも素敵な世界を見せてください。⁡」