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「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

第1回ぐるっとママ懸賞作文

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【銅賞】喜多美波さん「我が子と過ごした10ヶ月」

【銅賞】喜多美波さん「我が子と過ごした10ヶ月」

『あなたが教えてくれたこと』   コロナ禍で迎えた初めての夏のとても暑い日に、わたしは出産をしました。わたしにとって、初めてのお産でした。 新型コロナウイルスの全容が分からなかった頃で、上半身と下半身をパーテーションで仕切られマスクをつけながらのお産は、とてつもなく過酷でした。 しかしそれ以上に過酷な現実と向き合いながら、わたしは出産に臨んでいました。 出産予定日を1週間後に控えたある日、ふと「今日は胎動が少ないな」と感じました。しかし「お産直前は胎動が少なくなる」と聞いたことがあったので、少し不安を覚えながらも、その日は来たる出産予定日に備えて穏やかに過ごしました。 翌日、体調に変化は無いながらも、念のために病院に電話をしたところ、入院セットを持参して受診をするようにとの事でした。里帰りをしていたので病院に行く旨を伝えると、皆いよいよ赤ちゃんに会えると色めき立ちました。 父が運転する車に母と乗り込み、病院まで向かいました。緊張と不安の入り交じる胸の鼓動を感じながら、夫に「今から病院に行くよ」と連絡をしました。病院の敷地前で車から降り、まあるいお腹を抱えて、母と二人で病院の入り口まで歩きました。 入り口に到着すると、感染症対策でお付き添いはここまでと言われ、母に見送られながらスタッフの方と産科病棟に入りました。早速、エコーで赤ちゃんの状態を見ましょうねと、大きふくらんだ腹部にエコーを当てた医師の表情が、さーっと変わりました。エコーのモニターに映し出された赤ちゃんの心臓が、動いていませんでした。 このままでは母体が危険なので緊急分娩となり、点滴が始まりました。エコーのために横になったベッドから、一歩も動くことが許されず、横たわったまま仰向けで沢山の書類に署名をしました。医師の説明を聞きながら、ペンを持つ手の震えが止まりませんでした。 暫くするとお腹が痛くなってきました。初めて味わう陣痛の痛みは、とてもつらいものになりました。感染症対策でぎりぎりまでひとりきりで残された病室で、自分の体に繋がれた機械のモニターの数字を眺めながら、声も出さずにじっと痛みに耐えました。 いよいよお産が進み、防護服を着用した医師と助産師さん達に囲まれ、マスクで息苦しいなか、必死の思いでいきみました。 「産まれましたよ!」しかし産声はありません。 抱き上げられた赤ちゃんは、まるですやすやと眠っているようでした。 わたしは痛みからの解放と、やっと赤ちゃんに会えた安堵感で、涙が止まりませんでした。 その日の夜、点滴が続き、ひとりきりの病室で天井を見つめていると、他の赤ちゃんの元気な泣き声が病棟に響き渡りました。 ふと横を見ると、小さなベビーベッドの中で、静かに眠る我が子の姿がありました。 その時初めて、わたしは声をあげて泣きました。 感染症対策による面会禁止の入院を終え、夫の出迎えで赤ちゃんと一緒に退院をしました。実家に帰ると、夫の親も来ていました。わたしと夫の親ともに、初孫の誕生を心待ちにしていました。 皆泣いていました。残されたほんの僅かな時間を惜しみながら、代わる代わる抱っこをしました。 お別れの瞬間は、陣痛の痛みなんてかすり傷だと思えるくらいの、体を引きちぎられるような苦痛を伴いました。 やっとの思いで授かった待望の赤ちゃんでした。10ヶ月間、大切に育んできた命でした。望まれても、失われてしまう命があります。それでも、何か意味を持って産まれてきてくれた筈です。 人は多くの命とともに生きています。言葉で言うのは簡単ですが、命と向き合うという事は、決して容易い事ではありません。わたしはこの身をもって、その事実を知りました。 今、わたしの腕の中には、赤ちゃんがいます。いつかこの子が大きくなったら、このお話を伝えたいと思っています。戸籍に残らない上の子が、10ヶ月間を確かに生きていた証として、この子の心の中でこれからも生き続けてくれると信じています。   兵庫県 喜多美波さん 題名:我が子と過ごした10ヶ月 子どもへ伝えたい言葉:「あなたが教えてくれたこと⁡」

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【奨励賞】西田里奈さん「みんな望まれて生まれてきた」

【奨励賞】西田里奈さん「みんな望まれて生まれてき...

『ママは、ゆきちゃんと会うために生まれてきたんだよ。』   あの日生まれた子は、今月でもう2歳になる。かけがえのない私の宝物。可愛くて可愛くて、苦しくなるほど愛おしくてたまらない子。世界一可愛い私のゆきちゃん。 かつて妊娠が発覚した時、喜び勇んで産科を受診すると「切迫流産」だと診断された。一瞬で奈落の底に落とされたような心境に陥ったが、それは「流産しかけている状態」であり、流産ではなかった。赤ちゃんは生きている。この子の生きる力を信じなくてはいけない。 そう自らを鼓舞するまでには時間がかかり、しばらくは何をしていても涙が止まらない。でも嗚咽が出るほど泣くとお腹が張ってくる。子宮が収縮してしまう。赤ちゃんを想って泣いているけど、泣くことは赤ちゃんのためにならない。 泣くのをやめて、前を向かなければならないと実感した。 夫ともに勤務先へ挨拶へ行き、病休中は医師から指示された安静度を守り、寝て過ごした。お腹が張らないように、食事とシャワーとトイレのみに起きる。孤独だった。ひたすらに。 「切迫流産のゴールはなんでしょうか」 と医師に尋ねると、 「ゴールはなく、状態を観察しながら妊娠週数を重ねて正期産へ持っていくこと」と答えられた。 ゴールがない?ここまで来たら万事オッケー!なのはまさに出産直前? 不安は消えなかったが、赤ちゃんは順調にお腹の中で育ってくれた。 夏の妊娠だったためか、夜中に脱水症状のように熱く、頭痛と気持ち悪さを感じてのたうち回った日も、こむら返りが起きて痛みのあまり声も発せなかったのに夫が飛び起きてくれた日も、何をするのもけだるく寝てばかりいて罪悪感にとらわれた日も、体調が良く、夫と台所に立ってスイカを頬張った日もあった。 妊娠中、赤ちゃんの将来を考える時間がたくさんたくさんあった。健康なら、いい。幸福でいてくれたらいい。私たちと仲良くしてくれたらなおいい。一生懸命お金を稼いで、何でも好きな道に進めるようにサポートしたい。人に傷つけられないように守りたい。もちろん、よその大事なお子さんを傷つけることもないように気をつける。この子を一生守る。命に替えても守る。細胞レベルで愛してる。まだ生まれてもないけどこの愛は無敵だと分かる。彼と彼女だった私たちは、この10ヶ月で親になったのだ。 無事に出産予定日を迎え、計画入院し、お昼の12時に人工的な破水処置を受けた。その後は特に痛まずにのんびりぽんやりしていると、陣痛というものを徐々に感じ、これがもう神に祈るくらいの痛みだった。助けて助けて痛い痛いと手負いの獣のような妻の腰を9時間も押してくれ、陣痛の合間にトイレへ連れて行ってくれたり飲み物を飲ませて励ましてくれた夫のことを、私は一生大切にする。 陣痛の合間に 「天罰かと思うくらい痛い」 と母にメールを打った。すると一瞬で返信があった。 「天罰ではなく、天使が産まれてくるんですよ」 その時私が何を思ったか思い出せないが、母がくれた言葉は真実だった。 痛くて痛くて意識が飛びそうな苦しみが終結した。21時27分。世界が変わった瞬間だった。お腹の中で生きられないかもしれないと言われた子が、目の前にいる。私が産んだ!私が。いま。 ひとしきり赤ちゃんを抱いて、頬を撫で、可愛いね、可愛いねと夫と笑って、赤ちゃんは観察や処置のために看護師さんに一時託した。 私はその時医師に断りを入れ、母に電話をかけた。 「産んでくれてありがとう。私のこと、産んでくれてありがとう」 私は分娩台の上で泣きながら電話し、母も電話の向こうで泣いていた。 人はみな、望まれて産まれくる。親が子を愛していないわけがない。誰もが、必ず、誰かの愛しい人。 お母さんになることも、ならないことも、選べるこの時代で、私はお母さんになって良かった。あなたに会えて良かった。あなたに会うために産まれてきたんだよ。   三重県 西田里奈さん 題名:みんな望まれて生まれてきた 子どもへ伝えたい言葉:「ママは、ゆきちゃんと会うために生まれてきたんだよ。」  

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【ぐるっとママ大阪賞】今井寿子さん「今この瞬間に生きる大切さを学んだ私の妊娠と出産」

【ぐるっとママ大阪賞】今井寿子さん「今この瞬間に...

『地球へようこそ!あなたのままでこれからの人生も一緒に楽しんでいこっ\(^o^)/』   はじめまして。 私の体験を読んでいただき ありがとうございます。 妊娠、出産は奇跡とはいいますが 自分が体感して やっとやっとその意味を 理解することが出来ました。 私が結婚したのは2019年1月、 結婚後、自然な流れで妊娠を希望しました。 その年の12月待ち望んでいた妊娠。 ドキドキして病院にいきました。 そして先生の一言 「うーん。多分無理かもしれないね。」 心がズーンとした感覚。 今でも忘れることが出来ません。 受精卵は育つことはなく、流産でした。 このときの私は、 妊娠検査薬に陽性が出た。イコール妊娠した! と思っていました。 先生は良くあることだというし 妊娠した人の四分の一が経験することだ と言いました。 でも 「何で私だけ」 この思考が消えませんでした。 マイナスな感情で いっぱいになってしまったら それが連鎖してしまい 病院の帰り道、 頭の上に鳥の糞が落ちてきました。 漫画みたいな事が本当に起こったんです。 ここで出てきた感情は 「私ばっかり」 「何がダメなん!?」 自分を責めてばっかりでした。 少し気持ちが落ち着いてきて 「又妊活しよう」 と思えるようになってきた矢先 この時の流産をきっかけに 「侵入奇胎」 という病気になりました。 侵入奇胎とは、妊娠した時に出る hcgというホルモンが 子宮の壁に入ってしまう病気で 放っておいたらガン化するという病気。 治療法は「抗がん剤治療」でした。 もちろん妊活どころではなくなりました。 「抗がん剤?」 「何で?」 「子供は?望んじゃいけないの?」 「私、前世で悪いことした?」 やっと前を向こうと思えた時に 思い切りパンチされた気分でした。 この感情を どこに持っていけば良いか分からなかったし 矛先を旦那さんに向けてしまいました。 泣き喚いたり 理由もなくキレてしまったり 旦那さんとの関係も ギクシャクするようになっていきました。 そんなある日私が又 「何で私ばっかり こんな目に合わないとダメなの?」 と旦那さんに言った時 旦那さんが泣いたんです。 「ごめん。なんとかしたいけど 俺もどうして良いか分からないねん。」 って、あまり泣かない旦那さんが 涙を流したんです。 その時に 「これは全部自分の中にある」 「この気持ちを解決出来るのも私しかいない」 って強く思ったんです。 その時にちょうど 「今この瞬間が未来の自分を作る」 という言葉を耳にして その言葉が自分の中に腑に落ちたんです。 「未来はどうなるか分からないけどとにかく今を楽しもう。」 こう思えるようになりました。 そしてこの言葉を信じ、 実践するようにしました。 今までは就職したら結婚! 結婚したら子供!! 今の自分や環境を楽しむこともせず 未来ばかり見て 勝手に不安になっていました。 旦那さんとたくさん旅行に行ったり、 友達とも飲みにも行きました。 途中辛い気持ちが出てきたら 「辛く思う自分も人間らしくて可愛いやん」 って自分に言うようにしました。 そして治療開始から約二年後、 娘がやってきてくれました。 36歳初めての育児は日々体力との勝負で、 寝不足の日が多いですが 娘の笑ったり、寝顔を見た瞬間 「疲れが吹っ飛ぶ」とはこういう感覚か。 と日々実感しています。 瞬間瞬間に温かい気持ちに なれるようになったのも 「今この瞬間」 にいる時間の大切さに気付き、 積み重ねてこれたからだと思っています。 こんな気持にさせてくれた私の 「妊娠、流産、出産」という経験と二人の子供に伝えたいです。 本当にありがとう!!大好きだよ!!   大阪府 今井寿子さん 題名:今この瞬間に生きる大切さを学んだ私の妊娠と出産 子どもへ伝えたい言葉:「地球へようこそ!あなたのままでこれからの人生も一緒に楽しんでいこっ\(^o^)/⁡」

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3hmamaさん「4歳の娘と歩んだ自宅出産までの軌跡とこれから」

3hmamaさん「4歳の娘と歩んだ自宅出産までの...

『生まれてきてくれてありがとう。態度で、言葉で愛を伝えることの大切さを教えてくれてありがとう。』   「自宅出産」と聞くと、何らかのハプニングで、病院まで辿り着けずに自宅で産むことになってしまった、と想像する人も少なくないと思います。しかし私は、自ら望んで、4歳の娘と考えたバースプランを実現するため、この夏、3人目を念願の自宅で出産しました。 我が家は夫、長女4歳、長男2歳の4人家族。昨年春には3年間の育休から社会復帰し、仕事、育児、家事をこなすのに精一杯の日々でした。3歳まで自宅で過ごしていた長女は、とにかくママっこで、入園後、毎日保育園に行きたくないと泣き叫んで大変でした。あまりの嫌がりように、私も余裕がなくきつく怒ってしまうこともしばしば。そんな時長女から「ひなちゃんのことかわいくないの?産まなきゃよかったと思っているの?」なんて辛辣な言葉をかけられ、そんなことを言わせてしまったことへの驚きと罪悪感でうまくフォローできず泣くことしかできませんでした。そんな繊細な長女に3人目を授かったことを伝えたら、大喜び。そして、長男出産時に立ち会ってくれたときのことをよく覚えていて、「ママ、赤ちゃん産むときまたお腹痛くて泣いちゃうでしょ?一緒にいてあげるからね。大丈夫。」と言ってくれました。この一言で、このコロナ禍でも家族全員でお産に臨めるよう、自宅出産を決意しました。 妊娠を伝えてからというもの、毎晩寝る前にお腹にクリームを塗っては赤ちゃんに話しかけてくれ、赤ちゃんがどうやって生まれてくるのかについても疑問に思い、過程がわかる絵本をプレゼントしたら、何度も繰り返し読んで、勉強していました。30週以降の健診は一緒に助産院に来て赤ちゃんの心音を聞いたり、お腹を触って赤ちゃんを感じたり。一時逆子と言われていましたが、毎日「頭を下にするんだよ~」と話しかけてくれ、そのおかげで次の健診では逆子が治っていました。辛いこともたくさんありましたが、長女のおかげで本当に幸せな妊娠生活でした。長女の描くバースプランは、「赤ちゃんが生まれる時ママのそばにいて手を握ってあげること」「生まれたら一番に抱っこすること」でした。そして迎えた出産当日。陣痛開始時は腰をさすり、生まれる直前からは私の左横に寄り添って「頑張って」と手を握り、一番近くで次女の誕生を見守ってくれました。そして念願のファースト抱っこもさせてあげられて、その時の嬉しそうな、誇らしげな娘の表情は一生忘れません。 出産後、「ママ、どうして赤ちゃん産むとき泣いちゃったの?痛いから?」と聞いてきた娘に私は、「痛かったからもあるけど、それよりもやっと会えて嬉しくて泣いたんだよ。ひなちゃんが生まれてきた時も同じように泣いたんだよ。あなたを産まなきゃよかったなんて思ったことは一度もないし、この先も絶対にないよ。お腹にいる時から、出産までたくさん支えてくれてありがとう。これからもよろしくね。」と伝えました。この時やっとあの時のフォローができました。 次女を出産して約1ヶ月。長女は毎日次女を愛で、毎晩寝る前に私に「ママ、はーちゃんを産んでくれてありがとう」と伝えてくれます。そして、「最近ママ可愛いね」とも。2歳の長男も、まだ幼いながらに一生懸命妹を可愛がってくれています。 我が子を可愛くない親なんていないと思います。それでも、可愛いだけでは乗り越えられない辛さが育児にはあって、怒っては寝顔を見て反省する日々。それでも子供は、親に純粋に愛を伝えてくれます。子供と同じように、もっと純粋に、素直に向き合ったら、笑顔いっぱいの、可愛いママにやっと私もなれました。愛を態度で、言葉で、「伝えること」の大切さを教えてくれた長女。どんなに伝えても、過ぎることはないと思います。もっともっと子供たちや夫に愛を伝えて、残りあと何年一緒にいられるかわからないこの毎日を大切にしていきたいと思います。   京都府 3hmamaさん 題名:4歳の娘と歩んだ自宅出産までの軌跡とこれから 子どもへ伝えたい言葉:「生まれてきてくれてありがとう。態度で、言葉で愛を伝えることの大切さを教えてくれてありがとう。」  

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しょーさん「長い長い出産」

しょーさん「長い長い出産」

『みんなが待ちわびた赤ちゃんが生まれた!』   「ふぎゃあ、ふぎゃあー!」と元気な泣き声。大きな声で分娩室に響く声を聞いて、ようやく終わったという安堵感が胸の中に広がった。陣痛が始まって26時間。初めてのお産は長い長い出産に感じた。 助産師さんがあなたを胸の上に抱かせてくれた。赤黒くてしわしわでちょっと黄色い感じの赤ちゃん。手も足も爪もまつ毛も、どこも驚くほど小さい。そうっと触らないと壊れてしまいそうでドキドキしたけれど、その小ささと柔らかい感触がたまらかく可愛らしかった。大声で泣いたのは少しだけで、胸の上でおっぱいを飲むしぐさをした後は眠っていった。  私達のところに来てくれた赤ちゃん、それがあーちゃん、あなただよ。結婚して3年目の初夏だった。お盆休みに家族に妊娠の報告をすると皆とっても喜んでいた。水城のおおばばは、報告を聞いたとたん声を上げて嬉し泣きをしていたよ。 新田のじいじは、かずみに私より先に妊娠したことを話してしまった!私の初めての赤ちゃんは、家族にとっては初孫だったり初ひ孫だったので、みんながあーちゃんの誕生を待ちわびていたんだよ。   妊娠してからあーちゃんが生まれるまで、不思議な体験がたくさんあった。  始めはつわり。まいにち気持ち悪くて、色々な物が食べられなくなった。 食べられた物は、お米と味噌汁と漬物。 あれ?これって今あーちゃんの好きな食べ物だ!お腹の中にいたときから好きだったのかな?だから私にたくさん食べて欲しかったのね。  次に胎動(赤ちゃんの動きを感じること)。10月の末頃から気づくようになった。胎動はどんどん増えて、とってもよく動くので男の子だと思っていたよ。  そして出産。陣痛は出産予定日(赤ちゃんの生まれてくる頃の日)が近づくと始まることが多いんだけど、私は予定日を過ぎても始まらなかった。焦った私はスクワットをしたり、掃除に散歩、ゴルフのスイングなどもやってみた。そうしたらクタクタに動いた夜中に陣痛が始まった! 本当は破水(赤ちゃんのお部屋にあるお水みたいなものが出ること)もしていたんだけど、トイレに行った時だったので全く気づいていなかった。 痛みが始まってからは布団に転がって何度も何度も耐えながら朝を待った。朝になり、ばあばと一緒に病院へ向かった。診察してもらって陣痛が始まっていることがわかった。 でも、まだまだ産まれそうにないので病室で休んだり、病院の中を歩いたりしたよ。痛みは、なんどもなんども、繰り返し繰り返し続いた。痛みは、座っている姿勢によっても変化するんだけど、私は途中から痛みが弱くなっていたので横向きを勧められた。 この横向きが1番痛かった。それと出産が近づいてきて、あーちゃんの頭が私の膀胱(おしっこをためる袋のこと)を押さえてしまっていた。トイレに行っておしっこをしても、なかなか出なくて辛かったのを記憶しているよ。  結局、陣痛が弱くなってしまい、生まれてくるあなたも疲れてきたようで、先生や助産師さんに手伝ってもらってもらうことになった。 吸引分娩と言う方法で、先生に少し頭を引っ張ってもらってあなたが生まれた!そして、生まれたあなたの臍の緒(赤ちゃんに栄養を届けていたホース)をパパが切るのを手伝ってくれたよ。  これが、あーちゃんあなたの出産。何より大事なことは、私もあなたも命をかけた出産を終えたこと。そして、生きている人全てが同じ体験をしているということ。それを忘れずに、これからもその命を大切に幸せな每日を過ごしてね。   神奈川県 しょーさん 題名:長い長い出産 子どもへ伝えたい言葉:「みんなが待ちわびた赤ちゃんが生まれた!」

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まいまいさん「もう旅行に一緒にいけないなんて…。」

まいまいさん「もう旅行に一緒にいけないなんて…。...

『今は親のありがたみなんてわからないけれど、離れたり、少しずつ大人になっていって気がつくこともたくさん。一緒に成長しよう!』   我が家は、小1、中1、高1の五人家族。 今年は三人とも、入学式、卒業式も全て同時の節目の年でした。 年齢がバラバラだから、なおさら我慢もすることも多く…。 みんながテレビを見る時間、三人が三人とも見たいものが違って、みることができなかったり…。 三番目が見てるものは、上二人が面白くなかったり…。 年齢や遊び方も全然違うからこそ、難しいとこ感じる日々。 兄や姉がしていることを同じようにしたくて、 上二人の大切なものをわからずに触ってしまう三番目。 最近になり、あまり意見を言わなかった真ん中の娘が、思ってることを口に出して言うようになり、つい衝突ばかり…。 まだ小さな頃は、ごめん。と言って謝ってくれていた素直な気持ちが、全て、 『ママだってできてない。』矛盾してると指摘をされ…。 これは、反抗期なんだな…とわかってはいるものの、言わないわけにはいかず…。 怒ってばかり…。 本当に反抗期を難しいと感じている日々。 こんなはずじゃなかった。 こんなふうに怒ってばかりで育てようと思ってなかった。 小さな頃から、家族で出かけるのが好きで、一緒に出かけて楽しむことが楽しくて、よくキャンプに行ったり、釣りに行ったり、家族で毎週のように出かけていました。 たくさんのことを一緒に経験したい、教えたい…。 成長過程で当たり前なのかもしれない。 『もう、一緒に行かない。家で留守番しとく』 『いってきていいよ。』 突然そんなふうに言われ出し、家族五人で出かけることが出来なくなりました。 たしかに、わたしもそうだった。 高校生の頃から、友達と出かけることの方が楽しくて。 家族や親戚みんな仲が良くて、旅行に毎年出かけていたのも、参加しなくなって…。 数年間、親と弟だけで参加していました…。 祖母や祖父と一緒に住んでいたこともあり、口うるさく言われるのが、人よりも2倍あり、しんどくなり。 あの頃の親の気持ちが、ようやく親になりその辛さがよくわかり…。 わたしは、どうしてあの頃一緒に旅行に行かなかったんだろう…と今は特に思います。 結婚する時に、親への手紙を書きました。 思っている以上に手が進まなくて、、。 当然守られていた家から出ることへの不安感。 手紙を書きながら、泣きそうになり…。 あんなに好き勝手して、出かけてばかりいた私なのに、結婚することにワクワクして過ごしていたのに…。 親や祖母たちは、ずっと心配で口うるさかったのをわかっていただけに… 素直じゃない私は、反抗して、迷惑かけて。 結婚して、家を出る時に親のありがたみをわかりました。 家近くだから、いつでも帰れるのに。なんて主人に言われたのを思い出します。 永遠の別れではないのに。。。 親の手助けなしで、自分達で全てをやろうと思っていたからかもわからない。 今度は、母になり、私が子供たちを育てる番になりました。 子供ってそんなものだろ。 頭ではわかっていても、つい、言いすぎてしまう。 自分のことで楽しむよりも、子供たちを優先してしまってたからかもしれない。 あんまり構わなくてもいいのかも。 子供って勝手に育つ。 わかっていても、心配で、口うるさく言ってしまう…。 親になり、ますます親のことを尊敬するようになりました。 そんな最近家族旅行にもう来ない!と長男。 あぁ、そんな年齢になったんだ。。。 わかっていても、無理にでも、いく?と誘ってしまう私がいます。 コロナ禍になり、ますます後悔をしない生き方をしたいと感じます。 子供たちには、早く気がついてほしい。 人は、一人では生きることはできない。 コロナ禍になり、人と人との繋がりが本当に難しい世の中になってしまった。 まだまだ若いから、時間はたっぷりあると思うけれど、後悔しないように、まっすぐと自分のやりたいことに進んでいってほしい。 そして、家族の時間の大切さなど、後悔をしないように、過ごしてほしい。 五人家族なのに、4人家族の写真になってしまうのは、本当に寂しい。 アルバムを見返しても、悲しくなります。 反抗期真っ最中で、なかなか家族で感情がはいりうまく伝えることはできないけれど、まだまだ家族でお出かけ楽しみたいです。   大阪府 まいまいさん 題名:もう旅行に一緒にいけないなんて…。 子どもへ伝えたい言葉:「今は親のありがたみなんてわからないけれど、離れたり、少しずつ大人になっていって気がつくこともたくさん。一緒に成長しよう!」

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山﨑ゆかさん「島にいる温人へ」

山﨑ゆかさん「島にいる温人へ」

『離れていてもずっと一緒。ずっとママは味方だよ。』   壱岐の生活は楽しいですか?お盆に4か月ぶりに温人の顔をみた時のドキドキする気持ちは初めて感じた感情でした。 12歳で家を出て、離島に留学するという選択を受け入れ、パパに連れられて旅立った時は、壱岐島へ行かせようと決めたのはママなのにこれでよかったのか、手を離してよかったのか頭の中がぐるぐるしました。 5月には『僕、ここで3年いるから。』と言ってくれた時は安堵もしつつ、成長を感じました。8月に帰宅した時は身長も春から5cmものびてママを追い越すくらいになっていましたね。あんなに小さかった子が! 温人がママのお腹にきたのは2009年1月の終わり。結婚式を終えてしばらく経った頃。まだ京都市内に住んでいて、大学病院で赤ちゃんの心臓の麻酔ばかりしている頃でした。 手術が無事に終わったのを確認して安心したのも束の間、フラッと倒れてしまったのが始まりでした。おかしいなぁ、調べてみたら温人がお腹にいました。そう、豆ちゃんという名前で呼んでいました。だって超音波で見るとお豆のようだったから。超音波で初めて豆ちゃんに出会った時診てもらった産婦人科の先生は今ママが働いているところだったのは縁かしら?おめでとうございます!ってとっても明るい声で言われたのを今でもよく覚えています。 豆ちゃんがお腹にこなかったら、宇治にも引っ越してきていないかもね? 大きいお腹でジィジバァバのお家だったマンションの隣に引っ越してきて、やっとゆっくり妊婦生活、と思ったら豆が小さすぎて、総合病院に強制入院になっちゃったの。 丸っこい白い車温人も覚えていますか?ポルテでパパに送ってもらって。あんまり寂しくて京都タワーを眺めながら泣いてたの。 点滴がついてるわけでなくあまりにも暇で毎日指人形を作ってた。ほら今のおうちにも飾ってあるでしょう?指人形が一つ二つ増えて10個になれば生まれるかなぁなんて思いながら。 外に出てもOKだったから毎日東福寺を散歩して、楊貴妃観音にお祈りしたり、紅葉まじかの山門に行ったり。それでも生まれる気配はないですねぇ。なんて夕方には言われた22日。パパが黄色いバイクで仕事の後来てくれたらどんどんお腹が張ってきてね。小さい温人もしんどくて帝王切開?!なんてこともちらっと言われたけど頑張ってくれたの。指人形もまだ7個目だったのにね? 『呼吸に合わせて腰を押してあげてね?』と助産師に言われたパパが『僕の呼吸にですか?』なんて馬鹿なことを言ってた覚えがある。ママの呼吸に決まってるよね?分娩室に入ったらあっという間のお産だった。小さくておむすびちゃんみたいな赤ちゃん。たった2200グラムしかなかったけどとってもげんきに生まれてきてくれたのよ。朝の5:23分。パパったら眠たいのにお蕎麦だけ啜って急いで出生届出しに行ってた。急がなくていいのにね。豆ちゃんは温人という名前に。あったかい人、人が集まる温泉のようなあったかい人になってほしい、そんな意味を込めて。 あれから12年。温人には二人の弟と二人の妹。いっつも頼りになるから頼っちゃうけど。お正月に帰る頃にはママの身長を越してるね。離れていてもいつも思ってるし、いつでも飛んでいくからね。   京都府 山﨑ゆかさん 題名:島にいる温人へ 子どもへ伝えたい言葉:「離れていてもずっと一緒。ずっとママは味方だよ。⁡」

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♪ゆっこ♪さん「いつも、ユーモアと笑いをありがとう」

♪ゆっこ♪さん「いつも、ユーモアと笑いをありがと...

『生まれてきてくれて、ありがとう。太陽のように、眩しく、温かく、時に熱い君に届けるお母さんからの愛の言葉』    暑い夏休み。小学校6年生になった思春期真っ只中の君は、勉強のために、夏休みの多くの時間を自習室ですごしているね。そんな君に、せめて母親らしいことを何か一つ頑張ろうと思って、出勤前にお弁当を準備する私。あぁ、今日も自習室へ行って頑張るのだな、栄養満点のお弁当を食べて、夢に向かって頑張れ!と思って、今日も出勤。真夏の太陽が本当に眩しい。  君が生まれたのは、今から12年前。お母さんはその時27歳、生まれ育った土地を離れて暮らす夫婦のもとに生まれてきました。お母さんは職場の中では出産が早かった方で、地域の子育て支援の方に色々と教えていただく機会に恵まれていたものの、インターネットや育児本などを頼りにしながら、一日の大半を君と2人きりで過ごしました。本当に可愛い赤ちゃんで、目に入れても痛くないほどだったけれど、初めて尽くし、知らないこと尽くしで、たくさん泣いたし心配もしたし、そして愛おしさでいっぱいだった日々が、本当に懐かしい。  授乳をすること、すやすやと寝かせることが、こんなに大変だなんて知らなくて、一日1日終えるごとに、心身共にくたくたになりました。1番心配だったのは、アレルギー反応で身体中が鱗のようにバリバリかさかさになってしまって、とにかく一日中痒そうにしていたこと。予防接種のスケジュール通りに、沢山の荷物を持って病院に通っていた時、周りの赤ちゃんのツヤツヤピカピカなお肌と比べて、我が子はなんて可哀想…だなんて、ひどく落ち込んだこともありました。  治療がうまく進んで、君が快適に過ごせるようになってきた頃に、とにかくお母さんが夢中になったことは、君の服を作ること。寝たな〜と思ったら、型紙を写したり布を裁ったり、ミシンで縫ったり。世界で一つしかない君だけのお洋服を着せてお出かけして、こんなに撮ってどうするのかというぐらい、写真もいっぱい撮りました。ありがたいことに、今も昔も鈍感君で、一度深い眠りに落ちると、まとまった時間寝てくれたので、そんな楽しい経験ができました。  初めての赤ちゃんと、どうやって遊んだらいいのかよくわからなかったので、まだ首の据わらない時期から、とにかく沢山絵本を読んであげました。いろいろな本、同じ本を何回も何回も読んであげていたら、まだ分かるはずもない時期なのに、何だか楽しそうにしていた君。きっと、お母さんが楽しいと感じていたから、楽しそうに見えただけかしら。  いつの間にか、よく喋るようになり、色々な事に興味を持ち、質問でいっぱいの毎日のはじまり。アニメで人工衛星に興味を持ったことをきっかけに、何となくプラネタリュウムに連れていったら、宇宙のことが大好きになって、毎日毎日、一日中ありとあらゆる宇宙関連の本を読みあさっていたね。初めはお母さんが教えてあげることがあったけれど、今はお母さんが聞いたことに、答えてくれるようになり、立場の逆転!親として、こんなに嬉しいことはないですよ。  元気に学校に通い、良いことも悪いことも色々ある毎日のようだけれど、いつも楽しいこと、面白いことに焦点を当てて過ごしている様子が、本当に眩しいです。うっかりもののお母さんがご飯を炊くのを忘れていた時に、たまたま偶然かもしれないけれどご飯を炊いて帰宅を待っていた時のことは忘れません。ずっと頑張ってきたピアノのコンクール。どうか出番が無事に終わりますように、とステージの袖でドキドキハラハラしながら見守ったこと。演奏を終えた君を、抱きかかえたこと。とっても熱い思い出です。  どれもこれも、君がいなければ経験しないことばかりでした。生まれてきてくれて、ありがとう。夢に向かって、自分らしい人生を謳歌できるように、お弁当には栄養満点のおかずと、愛情を詰め込むことをこれからも続けます。   大阪府 ♪ゆっこ♪さん 題名:いつも、ユーモアと笑いをありがとう 子どもへ伝えたい言葉:「生まれてきてくれて、ありがとう。太陽のように、眩しく、温かく、時に熱い君に届けるお母さんからの愛の言葉⁡」

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北未香緒里さん「選んできてくれたんだね」

北未香緒里さん「選んできてくれたんだね」

『背負い苦しい生き方をしていた私を助けてくれたのがあなたです』    現代のほとんどの人が恐れるもの。それが陣痛・出産です。鼻からスイカ。男の人には耐えられないとよく言われます。けれど、私は「陣痛・出産は痛くない」ことを私の元に来てくれた3人の子供達全員から教えてもらいました。それを一番に教えてくれたのは今から7年半前に出産した第一子です。 陣痛や出産自体は私自身ももちろんとてもドキドキしていました。しかし、ある大先輩お母さん(=おばあちゃん)の出産話を聞いて衝撃が走ります。 「子供を産むって最高に気持ちいいわよ!夜の営みと一緒なの♪何度でも産みたいくらい!」 初めて聞いたときは耳を疑いました。 たしかに今では考えられない。けれど、江戸時代では東京・大阪間を3日間で走ることができた男性、米俵6俵(300kg)をかつぐことができた女性がいた。ということは、人間が本来持っている力は現代人では想像できないものがあるということ。そして、江戸時代の人たちに一番近いのが、おばあちゃんたちなのだ。その話を聞いて以来、陣痛・出産に快感を感じた人がいるなら、その快感の方を信じてどうやって同じようにできるようにするかだけを考えて準備をしていきました。 さあいよいよ本番。陣痛が来た時はあまりよくわかっておらず、ぐぐぐぐぐ~~と、内臓が動いている感じ。何回か来てから「あれ?これ陣痛かな?」と思って時間を計り始めました。 痛さはそこまでではない。今でも覚えているのは不安感です。これが陣痛なのか?これから何が起こるの?イメトレはしていたけれど、よくわからなくて不安。夫は偶然自宅にいたけれど、お産については無知。とにかくお産というこれから訪れることについて頼れる人がいない。この環境が不安でした。初産の場合、10分間隔になっても1時間自宅で待つ必要があります。その2時間くらいが気持ち的には一番辛かった時間。 不安だった2時間。やったことは母親学級で言われていた深呼吸。とにかく息を深く吐く。あ、波が来た、と思ったらとにかく息を吐く。およそ10秒くらい。いけるところまで。出る息が無くなっても、吐く。吐く。吐き続ける。一回の陣痛の波でうまくいくと2回くらい息を吐いていました。 すると、感じ始めたのです。わが子の頭の位置がさっきの陣痛の時より少し下がってきていると。この感動と言ったらありませんでした。 お腹の中にいる我が子が、母の身体のことを想いやりながら、考えながら、少しずつ少しずつ下りてきてくれている。それがとてつもなくしあわせで、しあわせで。波が来ている時は、息を吐き、 「大丈夫だよ。お母さんの身体、やわらか~くしておくからね。ふわふわ~。」 波が落ち着いたら、 「また少し進んだね~。楽しいね~♪うれしいね~💛きっともうすぐ会えるね~💛」 とお腹でがんばっている我が子と会話する。 一緒に歩んでる。進んでる。言葉ではなく、感覚で、お腹にいる生命とやりとりをする。はじめての共同作業。誰かとこんなに一体になれた経験したことなんてもちろんありません。だから私の陣痛・出産の記憶の中に痛いという記憶はありません。耐えるという感覚もありません。むしろ、自分自身はどんどん柔らかくなっていくから、そんな風に思わなかったのだと思います。  その後、私は(今振り返ってみると)産後うつとなり、がんばること、自分で背負うことをやっていては生きていけないということに7年かけて気づきます。その起点となったのは間違いなく、長男との出産体験でした。 私たち自身が持つ力を引き出してあげられれば、無限のパワーが溢れてくる。私は全世界の女性たちとつながり、出産をしあわせな出産に変えていきたい。 こんな使命を伝えてくれたのはえいただね。きちんと話していなかったあなたの出産話を第三子が生まれた後に話したね。その時のはにかんで嬉しそうな笑顔が私の目に焼き付いています。本当に本当にありがとう。あなたがいなければ下2人を育てることはできなかった。自ら進んでお手伝いしてくれるあなたは、少し無理していた時もあったかもしれない。でもきっとあなたが最初に来てくれたことは運命。本当にありがとう♡大好きだよ。   大阪府 北未香緒里さん 題名:選んできてくれたんだね 子どもへ伝えたい言葉:「背負い苦しい生き方をしていた私を助けてくれたのがあなたです⁡」

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塩むすび食べたいさん「私の世界を変えた2つの出産」

塩むすび食べたいさん「私の世界を変えた2つの出産...

『2人の存在が今の私の生きる源です。元気に生きてくれてありがとう。これからも素敵な世界を見せてください。』   私には4歳の長女と2歳半になる長男がいます。 私にとってはとても可愛い年子の姉弟で2人とも同じ産院で産まれました。 生まれた季節は夏と冬、真逆ですが出産の状況もまた真逆でした。 ⁡ 4歳の長女は発達ゆっくりさんでこの春からは幼稚園へ入園、児童発達支援と併用しながら通園しています。 ⁡ 婚姻届を提出する日に妊娠が発覚し、3日後の結婚式には頭の中は妊娠の事でいっぱいでソワソワした気持ちで式を挙げ、ハネムーンはマタニティ旅行と彼女は私達夫婦の始まりからずっとそばで見守ってくれていました。 初めての妊娠出産で彼女の姿を見たときの味わった事のない幸福感は今でも忘れられません。 夫が初めて抱っこした時も私と同じように感じた絵も言われぬ可愛さに感動した出来事については今でも親バカ夫婦の話題にのぼるのでした。 ⁡ 2歳半の長男は先天性疾患により生後1ヶ月で気管切開をしています。痰の吸引が必要ないわゆる動ける医療的ケア児です。 妊娠中は娘の時のようなトラブルもなく順調に、娘より大きくお腹の中で育ち、娘の時と同じく小雨の朝に陣痛に耐えて向かった産院で娘の時より大きな産声を上げて生まれてきてくれたのでした。 初めて見る彼の姿に一年半前の感情がカムバックするかと思いきや抱っこした時の呼吸の荒さに不安を覚え赤黒くへしゃげたような顔面に少し違和感を抱くのでした。 程なくして息子は肺気胸で別の病院のNICUへ搬送されることとなりました。搬送直前に見た保育器の中で酸素マスクを付けられた小さな息子の尋常ではない事態に息子が去った後ワッと泣き崩れるのでした。 '心配する事はない、搬送した方が安心だから'そう産院の先生が仰ったのは出産直後の私の体を気遣っての事でした。 実はこの裏で夫には'命が危ないかもしれない'と仰っていたのでした。 事態は深刻で搬送された病院では顎が小さい為に挿管が難しく処置ができないと別の病院に再搬送され、肺気胸だけでなく小顎症、舌根沈下、口蓋裂、右腎盂拡張といった幾つもの先天性疾患が見つかり後に気管切開を余儀なくされたのでした。 彼が生まれて私達夫婦が気管切開を決心するまで、そして手技や体制を整えてお家に迎える退院までとても濃い3ヶ月でした。 長女の時は完全ミルク派で息子もそうなるだろうと思っていた私は一変、離れた息子との唯一の架け橋が母乳であると考え必死に搾乳していましたが気管切開の話が出た事でショックで母乳が止まってしまうほどでした。 ⁡ あれほど望んだ退院後の息子との生活は頻回なたんの吸引と口からミルクを飲めずに鼻から胃へ直接ミルクを注入する頻回な経鼻栄養の医療的ケアに鳴り響く酸素モニターの音にまさに一睡も許されないといったような想像を絶する大変さでした。 当時まだ2歳にもならない上の子の保育はというと、とてもできる状況になく、彼女に対して不憫に思うのでした。その為看護理由で入園を希望し決定していた保育園はというとコロナ禍で登園は延期され、この月齢の低い大変な時期を過ごしたのでした。 訪問看護も利用していましたが私が家に人が来るのを嫌うため利用頻度は少なくそのくせ限界を迎えて大声を上げたり泣き叫ぶ事もありました。 ⁡ その後もいろんな事がありましたが息子の今は経鼻栄養は卒業して看護師さんのいる児童発達支援デイへ通ったりと私の時間も出来てきました。 ⁡ 娘を産んだ時の幸福感がその後の息子を産んだ時の心の支えでした。 夫が息子の命の危機を告げられ付き添ったあの出来事を経験して時々口にする「命があるだけありがたい」という息子への思いだったり 生まれて3ヶ月間の入院で離れて暮らした事、 息子の付き添い入院で娘と離れて暮らした事、 ケアが大変で外出すらままならなかった事、 全ての事があって今家族が揃って過ごせていることにとても感謝しています。   兵庫県 塩むすび食べたいさん 題名:私の世界を変えた2つの出産 子どもへ伝えたい言葉:「2人の存在が今の私の生きる源です。元気に生きてくれてありがとう。これからも素敵な世界を見せてください。⁡」  

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懸賞作文にたくさんのご応募ありがとうございました!!! [第1回ぐるっとママ懸賞作文 ニュース]

2022.09.16

懸賞作文にたくさんのご応募ありがとうございました...

  第1回懸賞作文~「私の出産」母から子に伝えたい言葉~は、9月15日(木)23:59に募集を締め切らせて頂きました。 たくさんのご応募ありがとうございました。 この後、ご応募いただいた作文は、ぐるっとママ各エリアのオーナーによる厳正なる一次審査をいたします。 一次審査後、衆議院議員の野田聖子さんに二次審査していただきます。 全ての作業が終了し、10月14日(金)に、ぐるっとママLINEで結果を発表いたします。 その後、順次、全ての入賞作文と投稿いただきました写真を各エリアに掲載させて頂きます。 感動の出産エピソードです。 ぜひ、楽しみにお待ちください。

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懸賞作文、文字数の数え方を教えて! [第1回ぐるっとママ懸賞作文 ニュース]

2022.09.07

懸賞作文、文字数の数え方を教えて! [第1回ぐる...

こんにちは!ぐるっとママ懸賞作文運営事務局の渡辺です。 懸賞作文の文字数は、1,000~1,600文字と指定されています。 基本的にそれ以外の文字数の場合は審査対象外となりますのでご注意願います。 今回は、パソコンやスマホでどのように文字数をカウントしたら良いの?という質問にお答えしたいと思います! │ パソコンの場合 パソコンでテキスト文字数をカウントする方法はいくつかありますが、以下3種類をお知らせします。 ①ウェブサイト 検索上位の2つが以下ですが、その他にも「文字数 カウント」でたくさんのサイトが出てきます。 【文字数カウント】 http://www1.odn.ne.jp/megukuma/count.htm 文字数カウント https://sundryst.com/convenienttool/strcount.html ②Googleスプレッドシート 文字数をカウントする数式「LEN」を使います。 下図のようにカウントしたいテキストのあるセルのとなりに「=LEN(セル名)」と入力します。 Enterを押すとカウントされた文字数が表示されます。 ③Excel(MicrosoftOffice) ②と同じです。 │ スマホの場合 スマホの場合は、文字数をカウントしてくれるアプリもありますが、文字数をカウントしてくれるサイトがあるのでブラウザ(SafariやChrome)で調べるのがおすすめです。 メモアプリなどで書いたテキストをコピーして、文字数をカウントしてくれるウェブページ上にペーストして文字数をカウントします。 スマホで見たときに見やすいサイトを調べましたのでご紹介します! 字数カウンター https://counter.sleepcows.com 文字数カウント https://sundryst.com/convenienttool/strcount.html ---- 以上、文字数のカウント方法について説明させていただきました。 みなさまからのたくさんの応募を心よりお待ちしております!

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評価者のぐるっとママオーナーに評価ポイントを聞く!ぐるっとママ八戸 オーナー吉田洋一さん [第1回ぐるっとママ懸賞作文 ニュース]

2022.09.06

評価者のぐるっとママオーナーに評価ポイントを聞く...

こんにちは!ぐるっとママ懸賞作文運営事務局です。 2022年9月6日(火)の22:00から、懸賞作文について、インスタでライブを開催しました! 題して、 「ぐるっとママ懸賞作文募集ってなに? 評価者の属性・評価ポイントを考察する!」 インタビュアーの松坂さんが、オーナーに評価ポイントをヒアリング! まとめをお知らせいたします。 松坂:ぐるっとママ懸賞作文にかける思いを教えてください 吉田:私は現在2人の子どものパパですが、それぞれがお腹に宿って、十月十日を経て生まれてきてくれたときのエピソードは、語りかけるようにしています。 私自身、母から出産のときのエピソードを聞いていて、それがたびたび家族の中で話題になっていた経験があります。そうやって、愛されて生まれてきたことを実感できると、存在を承認してもらえているようでとても満たされる。それってなかなかまれなことですよね。ぜひ皆さんにも作文にチャレンジしていってもらいたいなと思っています。 松坂:素敵なエピソードですね!今回、作文の評価項目は非公開ですが、評価者として重視するポイントはありますか? 吉田:読んでいて、ストレートに気持ちが伝わってくる作品がいいなと思います。お子さんがそれを読んで嬉しいと感じられるか。ありのままを表現してもらいたいと思います。 私は、妻と共に長い間妊活を経験しており、体外受精で子どもを2人授かっています。とてもとても大変な時期でした。妻もとても苦労したと思います。帝王切開で生まれてきてくれたのですが、出産に立ち会ったとき、妻が子どもを抱っこしたときに、顔が「女性」から「母」に変わったように思えた。母の美しさみたいなものを感じたんですよね。そんな神秘的な体験をさせてもらったこともとても印象に残っています。 だから妊活をした方を高く評価するというわけではないですが、そういったエピソードを実体験として理解できる評価者もいるよと伝えたいですね。 松坂:吉田先生が比較的長期間妊活経験者であることは、妊活で苦労されているママで作文書かれる方の希望の光ですね。ママに伝えたい思いを聞かせてください 吉田:ママや女性の皆さんをとてもリスペクトしています。この世は女性のためのものなんじゃないかって思います。 ママの存在によって、世界は成り立っているいますよね。 作文を通じて子どもや、ご自身の親御様への思いを再確認する機会にしていただきたく思っています。 ぐるっとママ八戸instagram https://www.instagram.com/guruttomama.hachinohe/ インタビュアー松坂instagram https://www.instagram.com/tommy_kamiyama/  

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私の出産体験記 ぐるっとママ代表山本欣子 [第1回ぐるっとママ懸賞作文 ニュース]

2022.09.04

私の出産体験記 ぐるっとママ代表山本欣子 [第1...

  ぐるっとママ代表の山本です。 いつも当サイトを応援していただき、感謝申し上げます。 懸賞作文の締め切りもあと2週間になりました。 私は今年、67歳です。 この作文募集を考えた理由ですが、出産体験を私も子どもたちに伝えていないし、私の母からも聴いてなかったからです。 既に故人になった母からは聴くことが出来ません。 だから、皆さんにお勧めしたいです。この作文の価値は宇宙よりも深いことを。 ----- 私の出産体験は私の家出から始まりました。 今から41年前、同居していた姑とうまく行かず、夫の留守中に家を出ました。 苦労知らずの私と夫を早くに亡くし、女で一つで二人の息子を大学まで出した姑とはまるで苦労の度合いが違う。 何から何まで指導されました。朝ご飯はロールケーキ、一汁一菜。寒い冬でもストーブはない。 朝、温かいうどんが食べたいと言えない情けない私。夫は何も言わずに見ているだけ。 辛さのあまり、家出して実家に帰りました。厳格な両親のことだからきっと戻されるだろうと思っていました。ところがすんなり、私を受け入れてくれました。 後にその時のことをあのまま帰したら自殺しそうだったからと母は話していました。 (中略) あなたがお腹にいる時、神経質で悲観的で笑いもしなかった私。 そんな母をお腹の中からあなたは見ていましたね。私はそんなお腹を撫でながら、おおらかに育つようにといつも祈っていました。 もう昔のことなのにこの事だけは今も忘れていません。 言葉には出していませんでしたが母の願いはそれだけです。

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評価者のぐるっとママオーナーに評価ポイントを聞く!ぐるっとママ北東京 オーナー増子薫さん [第1回ぐるっとママ懸賞作文 ニュース]

2022.09.02

評価者のぐるっとママオーナーに評価ポイントを聞く...

こんにちは!ぐるっとママ懸賞作文運営事務局です。 2022年9月2日(水)の22:00から、懸賞作文について、インスタでライブを開催しました! 題して、 「ぐるっとママ懸賞作文募集ってなに? 評価者の属性・評価ポイントを考察する!」 インタビュアーの松坂さんが、オーナーに評価ポイントをヒアリング! まとめをお知らせいたします。 松坂:ぐるっとママ懸賞作文にかける思いを教えてください 増子: 私は荻窪で美容室を2店舗経営しており、延べ10万人のお客様がいらっしゃいます。 そのなかには、妊婦→出産→子育てと経験されているのを見守ってきたお客様もたくさんいらっしゃいます。 そんな方々の変化を見ているからこそ、やはり、ひとりひとりの出産エピソードは まったく異なるものだなとも思いますし、唯一無二だからこそ価値があるなと感じています。 松坂:ママにとって美容師さんは心のオアシスなので、いろいろ話してしまいますよね。作文の評価項目は非公開ですが、評価者として重視するポイントはありますか? 増子:お客様の中で、乳がんが見つかって治療を開始し、その間卵子を冷凍保存しておいて、回復したあとに保存した卵子で出産されたママさんがいます。その方のお子さんにお会いしたときなど、その過程を見守ってきたからこそ特別な思いがこみ上げることがありました。 正直、「評価」はできないと思います。全員合格だと思うんですよね。ただ、 自分と重なる部分をみてしまうと思います。 妊婦からお母さんになると、雰囲気が温かくなって、安定感が出る感じがします。出産すると、ホルモンバランスが変わるから選ぶメニューも変わる。そんなママの変化がとても尊いものだとも思います。 松坂:多くの作文が家族のエピソードになりがちなテーマですが、美容師さんや、関わってくださった方のエピソードが出てきても、新鮮かもしれませんね!では、増子さんのママに伝えたい思いを聞かせてください 増子:祖母から、「母は太陽だ」ときかされて育ってきました。 ママ笑顔でいてくれると、いつも家庭が笑いでつつまれていたと思います。母は強いし、温かい。 とてもすごい存在なんだということを伝えたいです。ママになったエピソードを作品にするということが、いろんな人を勇気づけるきっかけになると思います。心のこもった作品に出会えることを期待しています。

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評価者のぐるっとママオーナーに評価ポイントを聞く!ぐるっとママ湘南 オーナー芳川恵子さん [第1回ぐるっとママ懸賞作文 ニュース]

2022.08.31

評価者のぐるっとママオーナーに評価ポイントを聞く...

こんにちは!ぐるっとママ懸賞作文運営事務局です。 2022年8月31日(水)の22:00から、懸賞作文について、インスタでライブを開催しました! 題して、 「ぐるっとママ懸賞作文募集ってなに? 評価者の属性・評価ポイントを考察する!」 インタビュアーの松坂さんが、オーナーに評価ポイントをヒアリング! まとめをお知らせいたします。 松坂:ぐるっとママ懸賞作文にかける思いを教えてください 芳川;出産は何度かしているよ、という方でも、「はじめての出産」が印象に残っていると思います。十月十日お腹にいて、いろんな思いを感じたと思いますが、出産してそこではじめて出会うんですよね。「赤ちゃんとのはじめまして」を経験したとき、私の場合は病院の中のものすべてが感謝にかわって、とても幸せな気持ちになった。 出産時の思いは誰でもなくママが感じた感情なので、お子さんに文章で残してほしいと思います。 松坂:評価項目は非公開ですが、評価者として重視するポイントはありますか? 芳川:私は出産を経験しているので、共感できるものだと引き込まれると思います。 生まれてきてくれてありがとうという感謝の気持ちとか。 妊娠がわかってからの出産までのストーリーって感動も、葛藤もあったと思うんですよね。 私は親知らずを治療して痛み止めを沢山打ったあとに腹痛を発症して妊娠が発覚したという経験があります。そのときは、不安で不安で仕方なかったけれど、担当の先生に「どんなママでも五体満足の子が生まれる保証はない。どんな子であろうとお母さんが受け止めてあげて」 と言われてはっとしました。こんなエピソードがママの数だけあると思うんです。ぜひ等身大のストーリーを読ませていただきたいなと思います。 松坂:芳川社長のエピソードのようにほんとに一人一人にドラマがありますよね!ぜひ、ママに伝えたい思いを聞かせてください 芳川:みんな、生まれてきてくれた時は「生まれてくれてくれてありがとう~~」って思うと思います。 でも、成長するにつれて、「はやくつかまり立ちしないかな」「発語が遅いかな?」って後から後から気になって求めちゃうことがあります。子育て悩んだりとか、子どもとの関係でうまくいかないことがあったとしても、この作文を思い出してもらって、 子どもがそこにいてくれるだけでいい、という存在承認を伝えてもらいたいと思います。 ママは大変な中本当に頑張っていると思います。子どもはそこにいてくれるだけでいい。ママもそのままでいいのでぜひお時間のあるときに、この懸賞作文に取り組んでいってください。  

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懸賞作文、スマホでどのように投稿するの? [第1回ぐるっとママ懸賞作文 ニュース]

2022.08.29

懸賞作文、スマホでどのように投稿するの? [第1...

こんにちは!ぐるっとママ懸賞作文運営事務局の渡辺です。 今回は、スマホでどのように投稿したら良いの?という質問にお答えしたいと思います! │ 申込み手順 最初に申込み手順をおさらいします。 申込み手順は、 ・LINE登録  ↓ ・LINE内のメニューを表示※スマホのみ  ↓ ・メニューのリンク先のGoogleフォームから投稿 となっています。 LINE内のメニューは、スマホ版からしか確認ができないので、基本的にはスマホからしかGoogleフォームに入力できない仕様になっています。 │ おすすめ方法 ズバリ言いますと、パソコンで作文を書いて、そのテキストを何らかの方法でスマホへ送信し、スマホからGoogleフォームへコピペする、という手順がおすすめです! テキストをパソコンで作成 ↓ テキストをパソコンからスマホへ送信 ↓ スマホ内でテキストをコピーしてGoogleフォームへペースト(貼り付け) という手順です。 │ パソコンからスマホへテキストを送信する方法 パソコンからスマホへテキストを送信する方法は、いろいろとありますが、私がやりやすいと思う方法3種類をご紹介します。 ①メールで自分宛てに送る Googleフォームの仕様で、今回はGmailアカウントが必須となっています。 そのためそのGmailを利用します。 パソコンで書いたテキストをGmailで自分宛てに送信、スマホにGmailを見れるアプリをインストールしてスマホで確認、という方法です。 ②LINEで送る パソコン版LINEがあるのをご存じでしょうか? ・Windows版 ・Mac版 ・Chrome版 の3種類あります。 → LINEみんなの使い方ガイド<パソコンでLINEを利用する> LINEで誰宛てに送るの?ということですが、自分へ送ることができます。 ・自分だけのグループを作成してそこで送る ・Keepメモに送る の2つの方法があります。 (LINE以外のチャットアプリでも同じことができます。Chatworkや、Slackでも同じことができます。) ③メモの同期ソフト(クラウドメモ)を使用する ・OneNote ・Evernote ・・・などクラウドメモアプリは色々あるのでそういったものを使うのも手です。 メモとして作文が残るのもいいですね。 │ ラスト:スマホ内でテキストをコピペ 最後に、パソコンからメールやLINEで送られた文章をコピーしてGoogleフォームに貼り付ける、という作業で完了です! (スマホ内でのテキストのコピペ方法は、デバイスやOSによって異なりますので各自ご確認いただければ幸いです) ---- 以上、スマホから記事の投稿の仕方を説明しました。 次回、文字数をどのようにカウントしたら良いか、について説明します!

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評価者のぐるっとママオーナーに評価ポイントを聞く!ぐるっとママ千葉 オーナー依田和孝さん [第1回ぐるっとママ懸賞作文 ニュース]

2022.08.26

評価者のぐるっとママオーナーに評価ポイントを聞く...

こんにちは!ぐるっとママ懸賞作文運営事務局です。 2022年8月26日(金)の22:00から、懸賞作文について、インスタでライブを開催しました! 題して、 「ぐるっとママ懸賞作文募集ってなに? 評価者の属性・評価ポイントを考察する!」 インタビュアーの松坂さんが、オーナーに評価ポイントをヒアリング! まとめをお知らせいたします。 松坂:ぐるっとママ懸賞作文にかける思いを教えてください 依田:懸賞作文とぐるっとママ千葉の両面のチラシ2万部刷ってます。 私どもが経営する保育園7か所、ならびに知人の産婦人科に置かせていただいていますので、たくさん応募いただきたいなと思っています。千葉から100件作品を出していただくのが目標です。 松坂:すごい~!!多くの方に情報が届いていっていますね!作文の評価項目は非公開ですが、評価者として重視するポイントはありますか? 依田:出産エピソードではあまり注目されない、「お父さん」との思い出もおりまぜてもらえると嬉しいなと思います。 もちろん、男ができることは限られてるんですが、人一倍強い思いをもっているパパもいると思います。 また、私は仕事柄障がいをお持ちのお子さんを保育園で受け入れています。 そんな様々な個性をもって生まれてきても、ママが働くことを諦めなくてもいいと思うんです。親として負い目を感じたり、思い通りの出産でなかったとしても、社会から受け入れられて、望む働き方・生き方ができる環境を提供したいと思っています。 個性をもって生まれてきた子のエピソードを特別に評価するという意味ではなく、どんな状況であっても、そのときの素直な思いをママさんにはアウトプットいただきたいなと感じています。 苦労があったとしても、元気に育ってるのであれば、「あのときは大変だったけど、今はこう思っているよ」ということを子どもに伝えてほしいなと思います。 松坂:もう依田さんの思いをきいて感涙です・・・。ぜひ、ママに伝えたい思いを聞かせてください 依田:私の職場には500人の方が働いてくださっていますが、8割が女性です。女性は仕事をしながら、お子さん育てて、それ以外のものもたくさん担って、とうてい男には勝ち目がありません。 女性であることに誇りを持っていただきたいです。 ぜひ、まずは文字を打ってみることにチャレンジいただきたいです。 いざ書き始めたら思いがこみ上げるてくることもあると思います。 命を宿せる身体であることは素晴らしいことです。ぜひ出産の感動を家族伝えてほしいと思います。力作を期待しています。  

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  • ■名称

    第1回ぐるっとママ懸賞作文
  • ■フリガナ

    ダイイッカイグルットママケンショウサクブン
  • ■住所

    大阪府大阪市
  • ■お問合せ

    info@gurutto-mama-yokohama.com