喜多美波さん 100 [私の出産] | 第2回ぐるっとママ懸賞作文

「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

第2回ぐるっとママ懸賞作文

喜多美波さん 100 [私の出産]

二度目の初産
きょうだいで紡ぐ命の絆
 

 
コロナ禍で迎えた初めての夏のとても暑い日に、わたしは出産をしました。わたしにとって、初めてのお産でした。

「産まれましたよ!」と、助産師さんに抱き上げられた赤ちゃんは、まるですやすやと穏やかに眠っているようでした。
しかしそのまま、産声を聞くことは叶いませんでした。
出産予定日を目の前にした日の出来事でした。

その日の夜、ひとりきりの病室で天井を見つめていると、他の赤ちゃんの元気な泣き声が病棟内に響きました。
ふと横を見ると、小さなベビーベッドの中で、静かに眠る我が子の姿があり、わたしは声をあげて泣きました。

わたしの初産には、産声がありませんでした。

約半年後、妊娠検査薬が陽性になりましたが、出血をしてしまい、流産になってしまいました。
精神的に落ち込む日々が続きました。妊婦さんや親子連れの人たちを目にするのもつらい毎日を過ごしていました。

約3ヶ月後、再び妊娠の徴候があらわれましたが、死産と流産を経験した身では、手放しで喜ぶことは到底できませんでした。
妊娠初期の頃は、胎児の心拍は今どうなっているのだろうかと、次回の妊婦健診まで気が遠くなるような思いで過ごし、ある程度の胎動を感じるようになると、今度はさっきはいつ動いたのだろうかと考えることが多くなりました。

わたしはすっかり、『安定期』という言葉が苦手になってしまっていました。正期産での死産と、流産を経験し、妊婦に『安定期』などは存在しないのだと、この身をもって痛感したからです。
産声をこの耳できくまでは、決して安心はできないと、不安な妊娠期間を過ごしていました。
いわゆる、一般的なハッピーなマタニティライフとはかけ離れた状態でした。

臨月に入ってからは、前回のお産の時のことをよく思い出すようになっていました。不安定な気持ちのあらわれからなのか、血圧が基準値以上に上がってしまい、妊婦健診後にそのまま即入院をすることになってしまいました。
入院中は、お腹に胎児の心拍を測定する機械を巻く検査があり、静かな病室に反響する胎児の心拍の測定音が、まるでわたしに胎児の確かな『生存』を証明してくれているようで、唯一安心ができる瞬間でした。
入院中は、一度も血圧が基準値を越えることはありませんでした。

いよいよお産の時がやってきました。
夢にまでみた産声が、分娩室内に響き渡りました。
わたしの第一声は、『泣いてくれてありがとう』でした。

病院のスタッフさん達から、たくさんの「おめでとう」という言葉を言ってもらえたその日の夜は、病室で静かに泣きました。前回の涙とは全く違うものでした。
自分が横たわっている病室のベッドに横付けされた新生児用のベビーベッドでは、我が子がすやすやと寝息を立てて眠っていました。
出産後の入院中にわたしが感じたことは、『本来の出産は、こんなにもたくさん「おめでとう」と言ってもらえるんだな』ということでした。

子育てをしていると、しんどいな、つらいなと感じることも多くありますが、人生で初めての産声を聞いた時のことを思い出すと、何よりも無事に産まれてきてくれたことが他の何事にもかえがたく、「無事に産まれてきてくれて本当にありがとう」という気持ちになります。

出産は文字通り、親子にとって本当に命懸けです。
著名人などの出産報告によくある、『母子ともに健康です』という言葉は、今やまるで定型文と化していますが、決して当たり前のことではありません。

わたしのお産の目標は、『産声をきく』ことでした。この『産声をきく』ということが、どれだけ多くの奇跡の連続で叶うのかということを、わたしは知っています。
二度目のお産で初めて叶ったこの目標は、わたしにとってこのお産を『二度目の初産』として、深く心に刻み込みました。

これからも、きょうだいで繋いでくれた命のバトンを決してこの手から離さないように、一生懸命、目の前の子育てを頑張って『生きたい』と思っています。
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