なーさんさん 054 [私の出産]
小さな予言者
生まれてきてくれて、ありがとう。
5回。
何の数字かというと、私が妊娠した回数の数字である。
この数字だけ聞くと、「なんて子沢山なの!」と、思われると思うが、そのうちの2人だけが、この世に生を受け、私が出会う事が出来た子供達なのだ。
私にはこの世に2人の息子がいる。
そして、生まれてこれなかったこの世ではないところに3人の子供がいる。
一番最初の子は、初期流産だった。
全身麻酔で中を掻き出すような手術は、目が覚めた時に気だるさと吐き気を残し、私の身体だけ置いてけぼりをくらったような。
そんな気持ちになったことを今も鮮明に覚えている。
水子供養に行き、泣き腫らし、心の整理がついた頃、幸いにもほどなくして、長男が無事に生まれた。
中々の難産だった長男が、ありがたいことに元気に育ってくれていた。二人目を望んでいた私にここであの日の悪夢が2度訪れる。
自然化学流産と、初期流産。
もう一度、気だるさと吐き気だけを残し、置いてけぼりにされた私の身体。今度は、長男が横で手を握ってくれた。
その小さな手で、よしよしと撫でてもらったこと。悲しい気持ちの中に、温かいものが溢れた。
しかし、大人はそんな私に言うのだ。
「1人でもいるだけマシだよ。いない人と比べたら贅沢だ。」
「二人目はまだ考えてないの?あまり年が開くと子供が可哀想よ。」
右から左へと受け流す日々。
二人目を、望むのは贅沢なのか。
産みたく思っても、今は考えたくなくても、悪気のない“声”が辛くなっていた。
そんな時だった。
「オカサン、アカチャンいるねー」
長男が言ったのだ。
まだ幼い息子は、二文を話し始めたばっかりで聞き間違いかとも思ったが、ハッキリと。まるで、見えているかのように断言した。
そういえば、生理が2週間ほど遅れている。
一週間ほど悩んだが、3度の流産が思い出され、私は怖くて検査が中々出来ずにいた。
いつまでもこのままは良くない。意を決して産院に行き検査したところ、『陽性』。
お腹を撫でながら、「アカチャン、アカチャン」と繰り返す長男を思わず抱き締めた。
それからというもの、長男の不思議な発言は増えていく。
妊娠四ヶ月を迎える頃だった。
「アカチャン、オトトー!」
“おとうと”
私のお腹を撫でながら毎日繰り返しその言葉を言うのだ。
他にも、「アカチャン、今マンマちゅう!」と言って、おヘソを指す。
それから、「アカチャン今お風呂入ってる」
など、羊水?と思うような発言が増えてきたのだ。その頃の長男は、1歳10ヶ月であった。
産科の先生に、その事を話すと
「たまにおるねん。見えてる子が。」
そういって、まだ性別判断には少し早いであろうとの事だったが、先生がエコーで診てくれるとおっしゃった。
男の子だった。
その後、私は胎盤剥離と切迫の可能性があり、ほぼ寝たきりになった。
しかし、長男がお腹を撫でるたび、(この子はきっと無事に産まれてくる。)そんな風に思えた。
2014.6 .7
いよいよ陣痛が来た。
夜中の1時。自宅にて前駆陣痛に耐える。2時間ほど耐え、深夜3時頃だったと思う。
産院へ。
子宮口は3センチ広がっていた。
産気づいている妊婦は私だけしかいない状態で、助産師さんが経産婦の私なら、朝までには4時間ほどで産まれると心強い言葉をかけてくれた。
が、しかし。
次々運ばれてくる妊婦さん。
次々産まれていく赤ちゃん。
私の後に運ばれた、しかも初産の妊婦さんは、3人も先にご出産となった。
めでたい。祝う気持ちと、なぜ先に?という見知らぬ妊婦さんへのほんの僅かな嫉妬心をおぼえた心弱き己を恥じる。
結局、私はというと、11時間の出産となったのだった。もちろん、一番最初に産気づき、一番最後に産まれた。
はじめての弟との対面。不思議そうな顔で覗きこみ、一言。
「アカチャン、いやー!」
弟が産まれたと同時に、ヤキモチも産まれました。
後日談。退院したとたんに、誰よりも弟を可愛がってくれたのは長男でした。
ヤキモチが消えちゃった。その分、愛に変わった。そんな初夏のあの日は、いつまでも大切な思い出。
生まれてきてくれて、ありがとう。
5回。
何の数字かというと、私が妊娠した回数の数字である。
この数字だけ聞くと、「なんて子沢山なの!」と、思われると思うが、そのうちの2人だけが、この世に生を受け、私が出会う事が出来た子供達なのだ。
私にはこの世に2人の息子がいる。
そして、生まれてこれなかったこの世ではないところに3人の子供がいる。
一番最初の子は、初期流産だった。
全身麻酔で中を掻き出すような手術は、目が覚めた時に気だるさと吐き気を残し、私の身体だけ置いてけぼりをくらったような。
そんな気持ちになったことを今も鮮明に覚えている。
水子供養に行き、泣き腫らし、心の整理がついた頃、幸いにもほどなくして、長男が無事に生まれた。
中々の難産だった長男が、ありがたいことに元気に育ってくれていた。二人目を望んでいた私にここであの日の悪夢が2度訪れる。
自然化学流産と、初期流産。
もう一度、気だるさと吐き気だけを残し、置いてけぼりにされた私の身体。今度は、長男が横で手を握ってくれた。
その小さな手で、よしよしと撫でてもらったこと。悲しい気持ちの中に、温かいものが溢れた。
しかし、大人はそんな私に言うのだ。
「1人でもいるだけマシだよ。いない人と比べたら贅沢だ。」
「二人目はまだ考えてないの?あまり年が開くと子供が可哀想よ。」
右から左へと受け流す日々。
二人目を、望むのは贅沢なのか。
産みたく思っても、今は考えたくなくても、悪気のない“声”が辛くなっていた。
そんな時だった。
「オカサン、アカチャンいるねー」
長男が言ったのだ。
まだ幼い息子は、二文を話し始めたばっかりで聞き間違いかとも思ったが、ハッキリと。まるで、見えているかのように断言した。
そういえば、生理が2週間ほど遅れている。
一週間ほど悩んだが、3度の流産が思い出され、私は怖くて検査が中々出来ずにいた。
いつまでもこのままは良くない。意を決して産院に行き検査したところ、『陽性』。
お腹を撫でながら、「アカチャン、アカチャン」と繰り返す長男を思わず抱き締めた。
それからというもの、長男の不思議な発言は増えていく。
妊娠四ヶ月を迎える頃だった。
「アカチャン、オトトー!」
“おとうと”
私のお腹を撫でながら毎日繰り返しその言葉を言うのだ。
他にも、「アカチャン、今マンマちゅう!」と言って、おヘソを指す。
それから、「アカチャン今お風呂入ってる」
など、羊水?と思うような発言が増えてきたのだ。その頃の長男は、1歳10ヶ月であった。
産科の先生に、その事を話すと
「たまにおるねん。見えてる子が。」
そういって、まだ性別判断には少し早いであろうとの事だったが、先生がエコーで診てくれるとおっしゃった。
男の子だった。
その後、私は胎盤剥離と切迫の可能性があり、ほぼ寝たきりになった。
しかし、長男がお腹を撫でるたび、(この子はきっと無事に産まれてくる。)そんな風に思えた。
2014.6 .7
いよいよ陣痛が来た。
夜中の1時。自宅にて前駆陣痛に耐える。2時間ほど耐え、深夜3時頃だったと思う。
産院へ。
子宮口は3センチ広がっていた。
産気づいている妊婦は私だけしかいない状態で、助産師さんが経産婦の私なら、朝までには4時間ほどで産まれると心強い言葉をかけてくれた。
が、しかし。
次々運ばれてくる妊婦さん。
次々産まれていく赤ちゃん。
私の後に運ばれた、しかも初産の妊婦さんは、3人も先にご出産となった。
めでたい。祝う気持ちと、なぜ先に?という見知らぬ妊婦さんへのほんの僅かな嫉妬心をおぼえた心弱き己を恥じる。
結局、私はというと、11時間の出産となったのだった。もちろん、一番最初に産気づき、一番最後に産まれた。
はじめての弟との対面。不思議そうな顔で覗きこみ、一言。
「アカチャン、いやー!」
弟が産まれたと同時に、ヤキモチも産まれました。
後日談。退院したとたんに、誰よりも弟を可愛がってくれたのは長男でした。
ヤキモチが消えちゃった。その分、愛に変わった。そんな初夏のあの日は、いつまでも大切な思い出。
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