2020.09.23
幸せを育む素敵な人間関係 その④ [柿谷先生のコラム]
私達は、頭の中で自分が願っているイメージ写真と、現実とを比較しながら生活しています。
お料理をしている時の料理の味加減がその一例です。
自分が美味しいと考える味(願望)と実際の味(現実)を比べて、違っていたら調味料を加えたり、水で薄めたりという行動を取ります。
私たちがとる行動は、常に「全行動」です。その意味は「行為」「思考」「感情」「生理反応(身体的症状)」が常に一緒になって動くという事です。
例えば、子どもをしかるお母さんの「全行動」は大声で怒鳴る「行為」と、なんでいつもそうなのという「思考」と、怒りの「感情」と、平常心でいる時よりは血圧が上がっているという生理反応の要素で成り立っています。
この4つの構成要素を自分で変えやすいものと、変えにくいものに分けるとどうなるでしょうか?
今、この本を読んでいるという「行為」をやめて、トイレに行くことは簡単にできます。
あるいは本から目を離して、今日の夕飯、何にしようかな?と「思考」を切り替えることもそんなにむずかしいことではありません。
「感情」はどうでしょうか?
上の息子たちが小さいころ、怒り出した私はもう十分叱ったからこの辺で止めてもいいかなあと頭では分かるのですが、怒りの「感情」がおさまらないで最後まで叱ってしまうということがありました。
そして夜、子ども達の寝顔を見ながら、明日こそ優しいお母さんになろうと、祈って、誓って、寝るのですが、また、翌日も同じことが繰り返されるということがよくありました。
選択理論に出会って、感情のコントロールの仕方を学ぶことで、少しずつ変わることが出来ました。
頭が痛い、熱が出る、汗が出るなどの「生理反応(身体的反応)」はどうでしょうか?
私は運動会の徒競走で走る順番を待つ間、心臓がドキドキするのをどうしようもできなかった記憶があります。
「生理反応」も「感情」と同じ様に自分ですぐに帰るのは難しいようです。
でも、私たちの「感情」と「生理反応(身体的反応)」には、大切な役割があります。
それは、、基本的欲求が満たされていない時に、そのことを私たちに教えてくれることです。
夫婦関係がうまくいかず、「愛・所属」の欲求が満たされない時に、落ち込んだり、食欲がなくなったり、夜寝られなくなることがあります。
「感情」と「生理反応」を直接変えることは難しいですが、車で例えれば前輪にあたる「行為」と「思考」に焦点を当て、身近で大切な人との人間関係を縮める(近づける)「行為」と「思考」を選択することは可能です。
夫婦関係、親子関係で使っている「行為」「思考」と、大切な友達と過ごす時に使っている「行為」「思考」とを比べてみるとわかりやすいかもしれません。
人間関係を回復しようと思ったら、相手は自分に何ができるだろうと考えることで、必ず何かヒントになることが思い浮かぶと思います。
例えば、話をよく聞く、思いやりを示す、支援する、信頼する、励ますなどです。
ここでひとつのエピソードを通して、全行動の概念を私がどのように活用したか、お話したいと思います。
忙しい毎日を送っている私たち夫婦は、いつの頃からか結婚記念日は旅行を楽しむことを、共通の上質世界(願望)として持つようになりました。
31回目の結婚記念日はどこに行こうかな、と考えていた私は、テレビのニュースで見る札幌の雪まつりを、一度は現地に行って見てみたいと思い始めました。
申し込んだツアーには、船に乗って流氷を見る行程も含まれていました。
バスガイドさんが「お客様、流氷はその日によって見える日と見えない日がございます。今日もし見れないとしても、怒ってガイドを殴らないようにお願い致します。ガイドさんは顔が命ですから」と冗談を言われました。
私たちが行った日は見事な流氷が岸までいっおあい流れて来ていて、船に乗りながら、大自然が見せてくれる美しさに感動しました。
添乗員の方が、「皆さん、オプションになりますが、ヘリコプターに乗って、空から流氷をご覧いただく事もできます」という案内をされました。
「空の上から流氷を見る」が即、私の上質世界に入りました。
夫を見ると、「ボクは乗らない」と首を横に振っています。
「あっ、それならいい。私ひとりで乗るから」と言いましたら「君にも乗ってほしくない」という夫の願望が、彼の表情、雰囲気から伝わってきました。
夫は、生存の欲求が思っていた以上に強いようです。
「どうして乗らないの?」と聞くと「やる事がまだ残っている」という返事でした。
乗りたい私と、乗って欲しくない夫の願望が食い違ったわけです。
そんな時、皆さんだったらどうするでしょうか?
以前の私だったら「まったくもうー、いつも私がしようとする事の邪魔をするんだから」とか「自分のお金で自分のしたい事ぐらいさせてくれたっていいじゃない」と考えたと思います。
でもそれでは良い人間関係が築けません。
それ以外の考え方ってないかな、と思い巡らせてみました。
「そうか、夫は私にいつまでもそばにいて欲しいと思うくらい、私は必要とされ愛されているんだ」そう考えると、まんざら悪い気はしません。
「じゃあ、乗らないことにしようかな」となります。
そうすると、読者の中には「我慢するってことですね」と言われる方がいます。
我慢は、基本的欲求を満たされないことをただ続けることなので、効果的ではありません。
我慢、我慢、我慢を続けていると、どうなると思いますか?
そうです。やがて我慢しきれなくなるのです。
そして、ちょっとしたことでガーガー怒り出したりします。
家族はびっくりです。どうしてお母さんはあんなに些細なことで怒るんだろう。
「我慢してたのよ。我慢を!!」
でも家族は知りません。つい、主婦は子どものため、夫のためと我慢しがちですが、それでイライラが募り、家族にあたっていたのでは元も子もありません。
私は我慢にならない思考の選択をしました。
「私は夫より8歳年下、女性は男性より7~8歳長生きする。夫の死後、ヘリコプターに乗って流氷をみるチャンスはあるかもしれない。どうしても、いやがる夫を尻目に今乗らなきゃいけない、ということでもないし...。」
そう考えると、まあ乗らなくてもいいか、になったわけです。
身近な重要な人との人間関係が良好であることに勝る幸せは、そうはないと思います。
著者:柿谷 寿美江
発行:クオリティ・コミュニティをめざす会
お料理をしている時の料理の味加減がその一例です。
自分が美味しいと考える味(願望)と実際の味(現実)を比べて、違っていたら調味料を加えたり、水で薄めたりという行動を取ります。
私たちがとる行動は、常に「全行動」です。その意味は「行為」「思考」「感情」「生理反応(身体的症状)」が常に一緒になって動くという事です。
例えば、子どもをしかるお母さんの「全行動」は大声で怒鳴る「行為」と、なんでいつもそうなのという「思考」と、怒りの「感情」と、平常心でいる時よりは血圧が上がっているという生理反応の要素で成り立っています。
この4つの構成要素を自分で変えやすいものと、変えにくいものに分けるとどうなるでしょうか?
今、この本を読んでいるという「行為」をやめて、トイレに行くことは簡単にできます。
あるいは本から目を離して、今日の夕飯、何にしようかな?と「思考」を切り替えることもそんなにむずかしいことではありません。
「感情」はどうでしょうか?
上の息子たちが小さいころ、怒り出した私はもう十分叱ったからこの辺で止めてもいいかなあと頭では分かるのですが、怒りの「感情」がおさまらないで最後まで叱ってしまうということがありました。
そして夜、子ども達の寝顔を見ながら、明日こそ優しいお母さんになろうと、祈って、誓って、寝るのですが、また、翌日も同じことが繰り返されるということがよくありました。
選択理論に出会って、感情のコントロールの仕方を学ぶことで、少しずつ変わることが出来ました。
頭が痛い、熱が出る、汗が出るなどの「生理反応(身体的反応)」はどうでしょうか?
私は運動会の徒競走で走る順番を待つ間、心臓がドキドキするのをどうしようもできなかった記憶があります。
「生理反応」も「感情」と同じ様に自分ですぐに帰るのは難しいようです。
でも、私たちの「感情」と「生理反応(身体的反応)」には、大切な役割があります。
それは、、基本的欲求が満たされていない時に、そのことを私たちに教えてくれることです。
夫婦関係がうまくいかず、「愛・所属」の欲求が満たされない時に、落ち込んだり、食欲がなくなったり、夜寝られなくなることがあります。
「感情」と「生理反応」を直接変えることは難しいですが、車で例えれば前輪にあたる「行為」と「思考」に焦点を当て、身近で大切な人との人間関係を縮める(近づける)「行為」と「思考」を選択することは可能です。
夫婦関係、親子関係で使っている「行為」「思考」と、大切な友達と過ごす時に使っている「行為」「思考」とを比べてみるとわかりやすいかもしれません。
人間関係を回復しようと思ったら、相手は自分に何ができるだろうと考えることで、必ず何かヒントになることが思い浮かぶと思います。
例えば、話をよく聞く、思いやりを示す、支援する、信頼する、励ますなどです。
ここでひとつのエピソードを通して、全行動の概念を私がどのように活用したか、お話したいと思います。
忙しい毎日を送っている私たち夫婦は、いつの頃からか結婚記念日は旅行を楽しむことを、共通の上質世界(願望)として持つようになりました。
31回目の結婚記念日はどこに行こうかな、と考えていた私は、テレビのニュースで見る札幌の雪まつりを、一度は現地に行って見てみたいと思い始めました。
申し込んだツアーには、船に乗って流氷を見る行程も含まれていました。
バスガイドさんが「お客様、流氷はその日によって見える日と見えない日がございます。今日もし見れないとしても、怒ってガイドを殴らないようにお願い致します。ガイドさんは顔が命ですから」と冗談を言われました。
私たちが行った日は見事な流氷が岸までいっおあい流れて来ていて、船に乗りながら、大自然が見せてくれる美しさに感動しました。
添乗員の方が、「皆さん、オプションになりますが、ヘリコプターに乗って、空から流氷をご覧いただく事もできます」という案内をされました。
「空の上から流氷を見る」が即、私の上質世界に入りました。
夫を見ると、「ボクは乗らない」と首を横に振っています。
「あっ、それならいい。私ひとりで乗るから」と言いましたら「君にも乗ってほしくない」という夫の願望が、彼の表情、雰囲気から伝わってきました。
夫は、生存の欲求が思っていた以上に強いようです。
「どうして乗らないの?」と聞くと「やる事がまだ残っている」という返事でした。
乗りたい私と、乗って欲しくない夫の願望が食い違ったわけです。
そんな時、皆さんだったらどうするでしょうか?
以前の私だったら「まったくもうー、いつも私がしようとする事の邪魔をするんだから」とか「自分のお金で自分のしたい事ぐらいさせてくれたっていいじゃない」と考えたと思います。
でもそれでは良い人間関係が築けません。
それ以外の考え方ってないかな、と思い巡らせてみました。
「そうか、夫は私にいつまでもそばにいて欲しいと思うくらい、私は必要とされ愛されているんだ」そう考えると、まんざら悪い気はしません。
「じゃあ、乗らないことにしようかな」となります。
そうすると、読者の中には「我慢するってことですね」と言われる方がいます。
我慢は、基本的欲求を満たされないことをただ続けることなので、効果的ではありません。
我慢、我慢、我慢を続けていると、どうなると思いますか?
そうです。やがて我慢しきれなくなるのです。
そして、ちょっとしたことでガーガー怒り出したりします。
家族はびっくりです。どうしてお母さんはあんなに些細なことで怒るんだろう。
「我慢してたのよ。我慢を!!」
でも家族は知りません。つい、主婦は子どものため、夫のためと我慢しがちですが、それでイライラが募り、家族にあたっていたのでは元も子もありません。
私は我慢にならない思考の選択をしました。
「私は夫より8歳年下、女性は男性より7~8歳長生きする。夫の死後、ヘリコプターに乗って流氷をみるチャンスはあるかもしれない。どうしても、いやがる夫を尻目に今乗らなきゃいけない、ということでもないし...。」
そう考えると、まあ乗らなくてもいいか、になったわけです。
身近な重要な人との人間関係が良好であることに勝る幸せは、そうはないと思います。
著者:柿谷 寿美江
発行:クオリティ・コミュニティをめざす会
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