教師はマネージャー | 選択理論心理学・柿谷先生のコラム

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選択理論心理学・柿谷先生のコラム

2019.12.21

教師はマネージャー

グラッサーの書いた『クォリティスクール』の副題は、英文では「強制しないで生徒を管理する」であった。

「管理」という言葉に違和感を感じる学校関係者は少なくない。管理教育という言葉からは、自由裁量を与えないで、規則・指示に従うことが求められる状況が浮かんで来るのかもしれない。

言葉の意味は、言葉にあるのではなく、人の中にある、と言われるように、「管理」という言葉が意味するところは、人それぞれだ。部活のお世話をする女子マネを連想する人もいる。

『クォリティスクール』の中でグラッサーが言いたかったのは、「教師はマネジャーでもある。強制のあるボスマネジメントではなく、リードマネジメントを身につけて対応すれば」生徒は成功するということだった。

教師は学級経営あるいは学校運営という言葉は日頃から使っている。学級経営を英語では、クラスマネジメントという。マネジメントは経営、運用、管理の意味で使われる。福祉領域ではケアマネという言葉も日常的に使われる。

好む好まざるに拘わらず、教師はマネジメントをしている。校長、教頭の管理者だけが、マネジメントをしているのではない。ボスマネジメントという言葉からは、悪い意味での管理が連想されるだろう。

「とにかく言われたようにやれ」というような高圧的な手法だ。言うことが聞けないなら首だ、という脅迫的言葉は職場で耳にすることがある。では、ボスマネジメントの対極には何が来るのだろう。

選択理論を学んだ人の中で、ボスマネジメントの対極がリードマネジメントだと誤解している人がいる。しかし、ボスマネジメントの対極はレッセフェール(放任主義的)マネジメントだ。

リードマネジメントはこの二つの対極の間にある。対極の真ん中から右寄りの人もあり、左寄りの人もあるだろう。

グラッサーは、デミングが知らずにしていたことは、まさに選択理論そのものだったと聞いてから、デミングが選択理論を知っていたら、もっと彼の働きは広まっていただろうと考え、『選択理論マネジャー』を著した。

選択理論に基づくマネジメントを、グラッサーはリードマネジメントと呼んでいる。教師も自分がマネジメントをする立場にあることを認めて、ボスマネジメントではなく、放任主義でもなく、リードマネジメントをしっかり身につける必要がある。

会社の社員には給与が支払われるが、学校では生徒に給与は支払われない。学校でのマネジメントが困難である理由は、これだけではない。学校は幾つもの点で、普通の会社組織と違っている。教師はマネジャーで、生徒は社員、そして同時にプロダクトでもある。

また、保護者と生徒は顧客でもある。世界のクォリティスクール関係者は、こうしたことを日頃から話題にしている。教師はマネジメントをする立場にいることをすんなり受け入れている。

学級経営が教師の任務の一つであるなら、教師は経営者ではないのか。経営はマネジメントで、教師はマネジャーである。しかし、教師はボスマネジャーになってはならない。強制のあるところに上質は生まれないからだ。
 
このコーナーは選択心理学会会長の柿谷正期氏のブログから引用したものです。             
7/23/2015 柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

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