体罰についてまだ認識が甘いのでは? | 選択理論心理学・柿谷先生のコラム

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選択理論心理学・柿谷先生のコラム

2019.10.02

体罰についてまだ認識が甘いのでは?

このコーナーは選択心理学会会長の柿谷正期氏のブログから引用したものです。

Posted on 4/12/2013
大阪市立桜宮高校バスケットボール部主将の2年生男子生徒(17歳)が顧問の男性教諭の体罰を受けた翌日に自殺した問題で、橋下徹大阪市長は、「口で言って聞かなければ手を出すときもある」などと発言してきたが、「自分の認識は甘すぎた」と潔く反省の弁を述べた(1月13日朝日新聞)。好感の持てる歓迎すべき発言である。

 しかし、1月15日の朝日新聞では、「他人に迷惑をかけるとか、危害を加えるといったときには、もしかすると、先生が手をあげることを認めなければ行けない場合があるかもしれない」とも言ったと報道された。前言より後退した考え方である。残念ながらこのような考え方であれば、また事件は起こり得る。実のところ、命の大切さを痛みとともに教えようとした事件が今回の自殺事件に先駆けて起こっていた。

 この自殺事件に先立つ2008年、大阪市教委によると、同じ学校で体罰があったが、危険を伴うピラミッドの練習中のことであり、落下事故を起こす恐れがあったので、顔面を2、3発たたいて、襟首を持って引倒し、さらに1発たたいたという事件で、この顧問の処分を行わなかったという(朝日新聞1月14日)。

命の大切さを教えるための暴力は容認され、やがては後に別の命が消えて行った。あのとき、暴力はどんな場合でも容認されないとしていたら、今回の事件は防げたかもしれない。

 1月16日の朝日新聞で、沖縄・興南高校野球部監督我喜屋優監督は、「殴り聞かせる」というような指導をしてはならないと述べている。しかし、母親が我が子をたたくことはあります、とも述べている。例としてあげられているのが、赤信号を無視して渡った時、車にひかれて死ぬかもしれない。

命の大切さを、痛みとともに教えることは必要かもしれません、と言う。さらに同監督は、社会人野球の監督だった時、選手を殴ったことがあるという。車で事故を起こしたので、人の命が奪われたら、みんなに迷惑をかけることになる、と教えたかった。親の身になって叱ることは必要です。選手の胸ぐらをつかみ、真剣さを伝えることもあります、と述べている。

このような認識で良いのだろうか?親は子どものしつけと称していても、それが児童虐待となって報告される事件が後を絶たない。しつけと虐待の区別は容易ではない。否、区別出来ない。

 元巨人・桑田選手は、「私自身は体罰に愛を感じたことは一度もありません」とどんな時でも体罰をしないことを勧めている。そんな中、伊吹衆議院議長が講演の質疑応答で、体罰容認発言をしたと報じられた。またそれを指示する他の国会議員の発言もあった。「体罰は必要」と回答する人は、少なくない。83%に上る(朝日新聞1月12日)。

体罰を自らが受けてその有効性に疑問を持つまで、体罰容認は続くのだろうか?残念ながら体罰容認の根は深い。
 
柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

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