2021.01.24
『悩み、絶望こそが恵み』 [保育・食育のプロからのアドバイス]
『悩み、絶望こそが恵み』
今コロナ被害の中で進路や就職に悩む大学生の皆さん。
皆さんが、日々、学習、部活に励み、友情を深めておられるお姿を思い浮かべながら、
少し自分の高校生時代の事をお話してみたくなり筆をとりました。
私は、兵庫県にある市立西宮高校と言う高校を卒業いたしました。
私の高校は男女共学でしたが、女子生徒たちに大変人気がありました。
なぜなら、あの甲子園球場!夏の全国高校野球大会の開会式で、各校のプラカードを女子高生。それは我が母校。伝統の役割だったからです。
プラカードを持つためのオーディションは、狭き門で、身長158センチ以上、リズム感があり、風紀を守り、学業に励み、体育系の部活において功績がある生徒と
言う条件がありました。
私は、まず身長が足りませんでしたから、オーディションに申し込む資格もありませんでした。(^_^;)
私の高校生活は、生徒会と部活で大忙しでした。
生徒会では、運動部会の部長に推薦され、アメフト、サッカー、野球、バスケ、テニスなど全ての運動部の部費の予算決算を任せられていました。
また、演劇部部長として、課題脚本でユニークな演出が評価されて、県大会優勝したり、英語が苦手なのに、英語劇部指導の任も与えていただきました。
しかし、そんな私の高校時代には、大きな悩みがありました。
友人たちが日ごと好きな人が出来、告白し結ばれたり失恋したりする中。
私は、全身大やけどをした為に、身体がケロイドだらけだったので、自分は女として失格。
誰も私のような女とは付き合わない。
誰も私と結婚したいと思わないだろうなあと言う絶望の中に生きていました。
また、医師には、ケロイドだらけなので腹の皮膚が伸びないので、妊娠は望まない方が良いとまで、言われていました。
結婚する事も子どもを出産する事も出来ないとしたら。
よほど打ち込める仕事でも無いと、一人で生きて行くのに、人生が長過ぎると思いました。
でも、私には身長も無ければ、美貌も無い(^◇^;)
演劇は楽しいけれど、それを仕事にする事ほどでもない。
結局何の取り柄もない自分と向き合わなければなりませんでした。
嗚呼!いったい、
この人生何をして生きていけばいいの!
これが青春なら、いっそ死んだほうがましと考えたこともありました。
そんなある日、進行性筋ジストロフィー症の方々と山登りに行くボランティアの募集がありました。
そこには、身長制限は無く、明るく元気な方募集と書いてありました。
明るく元気なだけでいいなら、参加してみたいと思いました。
私は、二十歳の男性の介助を頼まれました。
その人は、激痛に耐えながら一歩また一歩山に登っていました。
幼い私は、その人に大変愚かな質問をしてしまいました。
「そんなに痛いなら安静に、寝ていた方がいいんじゃないんですか?」と。
その人は、微笑んで、こう言いました。
「痛くても頑張って、運動しないとどんどん筋肉が固まって最後は心臓が止まってしまうからね。安静に寝ていたら、それだけ命が短くなるんだよ。」と。
私は、ビックリしました。
そして、私は私の悩みがどんなに小さい物だったかと深く反省いたしました。
結婚出来るとか出来ないなど、なんとつまらない事で悩んでいたんだろう。
この人は、心臓が止まるかどうかで悩んでいる。
その時から、私は、障害福祉に携わりたいと言う夢を抱き始めました。
一人の男性、そして我が子に捧げる事の出来なかった私の愛を、障害を持ち生きる方々に捧げよう。
私の身体は、ケロイドだらけだけれど、私は五体満足で、おまけに元気で明るいじゃないか。
これだけあれば充分!
沢山の人達の役に立てる!
私は希望で一杯になりました。
ところが、私は、いくつかの大学の受験で、見事に全部不合格となりました。
模試では、絶対合格できると言われた大学さえ落ちてしまいました。
また、訪れる絶望の中。
進路の先生により保育士資格でも障害福祉に携わる事が出来ると知り保育専門学校に入学し、保育士になりました。
しかし、大学受験のため勉強していた私は専門学校で主席となったため、行かなければならない関連保育園があり、夢だった障害児施設ではなく、保育園に就職する事になりました。
そこでは、自分が思い描いた理想の保育ではなくたった一年で、退職願いを出していました。
それからは、就職しては退職を繰り返していました
子ども達にやってはいけない事をやってはいけない方法で導くやり方に悩み、日本の福祉の限界に絶望しました。
が、沢山の福祉施設を転々と渡り歩いたお陰で、沢山の仲間と知識に出会いました!
いつしか、自分で理想の保育園を創ろうと考え、気がつけば保育園を設立し、園長となり、社長となり、社会福祉法人の理事長にまでなってしまいました。
また、何故かケロイドだらけの私が結婚することが出来、妊娠出産にも恵まれ二人の娘に母親にもなれました。
今振り返ると、悩みや絶望があったからこそ、私は深く考え、不安から逃れたいという状況だったからこそ、激しく何かを求めたのだと思います。
いまでは、あの頃の悩みや絶望、不安に感謝の気持ちで一杯です。
神様は、私の人生に悩み絶望を与えて、それを乗り越えるための、沢山の出会いを与えて下さいました。
その結果
今、「わが行く道この道より無しこの道を行く」と言える仕事に出会う事が出来ました。
皆さんのこれからの人生にも沢山の悩みや絶望が訪れるかと思いますが、
いつもあなたのそばにいてくださり、
あなたを強く愛し続けてくださる神様を信頼して悩んでいる時にこそ、くよくよしないで
いろんな方々に出会うために新しい事を始めてみて下さいね。
確かに未来はある。
あなたの希望が断たれることはない。
(蔵言23章18節)
今コロナ被害の中で進路や就職に悩む大学生の皆さん。
皆さんが、日々、学習、部活に励み、友情を深めておられるお姿を思い浮かべながら、
少し自分の高校生時代の事をお話してみたくなり筆をとりました。
私は、兵庫県にある市立西宮高校と言う高校を卒業いたしました。
私の高校は男女共学でしたが、女子生徒たちに大変人気がありました。
なぜなら、あの甲子園球場!夏の全国高校野球大会の開会式で、各校のプラカードを女子高生。それは我が母校。伝統の役割だったからです。
プラカードを持つためのオーディションは、狭き門で、身長158センチ以上、リズム感があり、風紀を守り、学業に励み、体育系の部活において功績がある生徒と
言う条件がありました。
私は、まず身長が足りませんでしたから、オーディションに申し込む資格もありませんでした。(^_^;)
私の高校生活は、生徒会と部活で大忙しでした。
生徒会では、運動部会の部長に推薦され、アメフト、サッカー、野球、バスケ、テニスなど全ての運動部の部費の予算決算を任せられていました。
また、演劇部部長として、課題脚本でユニークな演出が評価されて、県大会優勝したり、英語が苦手なのに、英語劇部指導の任も与えていただきました。
しかし、そんな私の高校時代には、大きな悩みがありました。
友人たちが日ごと好きな人が出来、告白し結ばれたり失恋したりする中。
私は、全身大やけどをした為に、身体がケロイドだらけだったので、自分は女として失格。
誰も私のような女とは付き合わない。
誰も私と結婚したいと思わないだろうなあと言う絶望の中に生きていました。
また、医師には、ケロイドだらけなので腹の皮膚が伸びないので、妊娠は望まない方が良いとまで、言われていました。
結婚する事も子どもを出産する事も出来ないとしたら。
よほど打ち込める仕事でも無いと、一人で生きて行くのに、人生が長過ぎると思いました。
でも、私には身長も無ければ、美貌も無い(^◇^;)
演劇は楽しいけれど、それを仕事にする事ほどでもない。
結局何の取り柄もない自分と向き合わなければなりませんでした。
嗚呼!いったい、
この人生何をして生きていけばいいの!
これが青春なら、いっそ死んだほうがましと考えたこともありました。
そんなある日、進行性筋ジストロフィー症の方々と山登りに行くボランティアの募集がありました。
そこには、身長制限は無く、明るく元気な方募集と書いてありました。
明るく元気なだけでいいなら、参加してみたいと思いました。
私は、二十歳の男性の介助を頼まれました。
その人は、激痛に耐えながら一歩また一歩山に登っていました。
幼い私は、その人に大変愚かな質問をしてしまいました。
「そんなに痛いなら安静に、寝ていた方がいいんじゃないんですか?」と。
その人は、微笑んで、こう言いました。
「痛くても頑張って、運動しないとどんどん筋肉が固まって最後は心臓が止まってしまうからね。安静に寝ていたら、それだけ命が短くなるんだよ。」と。
私は、ビックリしました。
そして、私は私の悩みがどんなに小さい物だったかと深く反省いたしました。
結婚出来るとか出来ないなど、なんとつまらない事で悩んでいたんだろう。
この人は、心臓が止まるかどうかで悩んでいる。
その時から、私は、障害福祉に携わりたいと言う夢を抱き始めました。
一人の男性、そして我が子に捧げる事の出来なかった私の愛を、障害を持ち生きる方々に捧げよう。
私の身体は、ケロイドだらけだけれど、私は五体満足で、おまけに元気で明るいじゃないか。
これだけあれば充分!
沢山の人達の役に立てる!
私は希望で一杯になりました。
ところが、私は、いくつかの大学の受験で、見事に全部不合格となりました。
模試では、絶対合格できると言われた大学さえ落ちてしまいました。
また、訪れる絶望の中。
進路の先生により保育士資格でも障害福祉に携わる事が出来ると知り保育専門学校に入学し、保育士になりました。
しかし、大学受験のため勉強していた私は専門学校で主席となったため、行かなければならない関連保育園があり、夢だった障害児施設ではなく、保育園に就職する事になりました。
そこでは、自分が思い描いた理想の保育ではなくたった一年で、退職願いを出していました。
それからは、就職しては退職を繰り返していました
子ども達にやってはいけない事をやってはいけない方法で導くやり方に悩み、日本の福祉の限界に絶望しました。
が、沢山の福祉施設を転々と渡り歩いたお陰で、沢山の仲間と知識に出会いました!
いつしか、自分で理想の保育園を創ろうと考え、気がつけば保育園を設立し、園長となり、社長となり、社会福祉法人の理事長にまでなってしまいました。
また、何故かケロイドだらけの私が結婚することが出来、妊娠出産にも恵まれ二人の娘に母親にもなれました。
今振り返ると、悩みや絶望があったからこそ、私は深く考え、不安から逃れたいという状況だったからこそ、激しく何かを求めたのだと思います。
いまでは、あの頃の悩みや絶望、不安に感謝の気持ちで一杯です。
神様は、私の人生に悩み絶望を与えて、それを乗り越えるための、沢山の出会いを与えて下さいました。
その結果
今、「わが行く道この道より無しこの道を行く」と言える仕事に出会う事が出来ました。
皆さんのこれからの人生にも沢山の悩みや絶望が訪れるかと思いますが、
いつもあなたのそばにいてくださり、
あなたを強く愛し続けてくださる神様を信頼して悩んでいる時にこそ、くよくよしないで
いろんな方々に出会うために新しい事を始めてみて下さいね。
確かに未来はある。
あなたの希望が断たれることはない。
(蔵言23章18節)
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