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第4回「私の子育て」インタビュー 尾花髙夫氏×ぐるっとママ

2020.05.26

第4回「私の子育て」インタビュー 尾花髙夫氏×ぐるっとママ

by ぐるっとママ編集部

「私の子育て」インタビューシリーズ、第4回目は、元プロ野球選手、コーチ、監督など数々の功績を残した尾花高夫さんです。 一年の内、大半を単身赴任で家族の元を離れているプロ野球選手。尾花さんはそのような状況でどのような子育てをしておられたのか?伺いました。   <尾花高夫さんの家族構成> 妻・長女・長男・次女   私が結婚をしたのは26歳の時でした。その時に女房と色んな話をしましたが、多くの時間を使って話をしたのは子育てのことでした。まず、子供は何人欲しいのか?どう育てるのか?学校は公立か私立か?子供が育つとはどういうことか?親の役割とは何か?など、多岐にわたりました。 そうした中で、私たち夫婦がお互いに決めたことあります。 ・夫婦がお互いに仲良くすること。 ・子供の前では悪口は言わない。ケンカもしない。 ・夫婦がお互いに一番であり、子供は二番。 ・挨拶は必ずする。 ・最終決定権は父親の私。 一番重要に考えたのは、お互いに仲良くすることであり、子供の前では悪口を言わない(お互いだけでなく、他人の悪口も言わない)ケンカもしないということでした。 これは今思い返しても良かったと思います。子供達は明るく育ってくれましたし、人の悪口も聞いたことがありませんし、問題になるようなこともありませんでした。 それと、夫婦がお互いに一番にしていたことも良かったと思います。子供達には「ママが一番」ということをいつも言っていましたね。子供達は「エ~何で~」と言ってはいましたが嬉しそうでした。 例えば、子供が小さいときに私が出かけるときは全員とハグをして出かけたのですが、ハグをするときも女房から長女・長男・次女という順にしていました。外食するときもまず、女房に何が食べたいのか聞きます。女房が「お寿司が食べたい」と言えばお寿司で、女房が、「今日は私何でも良いわ」と言って初めて子供達に決めさせるのです。 仕事柄(プロ野球)遠征が多くありましたので、お土産を買って帰ることも多くありました。その時も、直接子供には渡さずに、まず女房に渡します。例え子供に買ってきたものであっても女房に渡してから子供に渡るようにしていました。 女房も私をいつも一番にしてくれました。食事・睡眠・タイムスケジュール、全て私を優先して動いてくれました。子供達はそういうことを見て育ちましたので、今でも私たちを優先してくれますし、誕生日や母の日・父の日なども必ず祝ってくれます。 これは我が家の習慣にもなっていますが、家族の誕生日には我が家に全員集まってお祝いをするのが当たり前になっています。よっぽどの理由が無い限り行っています。ですから年に5回は皆集まると言うことです。   思い出に残るエピソード 思い出に残っているのは、優勝旅行ですね。1997年のヤクルトの優勝旅行では息子と2人でラスベガスに行きました。2000年のダイエーホークスの優勝旅行では次女と2人でハワイに行きました。 長女は優勝旅行には行っていないのですが、これは小学校一年生の時から中学校三年生まで一日も学校を休んでおらず、学校を休みたくないということと受験が重なったためです。 女房も一回も行っていないのですが、これは常に誰かしら子供が家にいて面倒を見なければいけなかったからです。 息子とのラスベガスは、色々なホテルでのアトラクションで遊んだりショーを観たり、恐竜館に行ったりして楽しみました。恐竜館はラスベガスの外れにあり、行くことをためらいましたが、当時、息子が恐竜にとても興味を持っているときでしたので、意を決して行きました。帰り道が、来るときと違ったので何処かに連れて行かれるのかと思い、身構えましたがちゃんと帰ることが出来「ホッ」としたのを覚えています。 次女とのハワイは、ハワイ島が主でしたので海で泳いだり、海底を散策する船に乗って海の中を観たり、ヒルトンホテルの電車や池のボートに乗ったりして楽しみました。娘のしたいことや観たいところに行きましたので、とても疲れたのを思い出します。 オアフ島では金田正一さんのお店で、王監督と食事も御一緒にさせていただき、次女はこのハワイ旅行がとても思い出に残っていると今でも話をします。 7回のリーグ優勝と4回の日本一を経験し、優勝旅行に長女と女房が一緒に行けなかったことと、家族全員で優勝旅行に行けなかったのはとても残念ですね。 それと仕事柄、夏休みに何処かに遊びに行くことも旅行に行くこともほとんどありませんでしたが、唯一、オールスター休みだけは遊びに行けるのでキャンピングカーを借りて旅行に行ったことがあります。家族との旅行はしたいけれど、オールスターに出られないのは成績が良くないと言うことなので、複雑な思いで旅行に行っていました。 ですから、子供達との夏休みの思い出はキャンピングカーでの旅行ぐらいで、夏休みの写真に私はほとんど写っていません。   中学の頃の反抗期はどのようなものでしたか? 3人の子供は反抗期らしきものは無かったですね。強いて挙げるとすれば、長男が高校生になってから女房に対して口答えをするくらいで、私に対しては全くありませんでした。 女の子も2人いますが、世間でよく言うお父さんの物と洗濯一緒にしないでとか、お父さんキモいとかも全くありませんでした。これは女房が普段から子供達に、「パパは凄い人なのよ」「パパは皆のために休みの日も働いているのよ」「パパが頑張ってくれるから生活出来るのよ」と、言ってくれていたからだと思います。 ですから、子供達は私に対しては敬いの思いを持ってくれていたと思います。 私は仕事柄、一般の方がお休みの時に働かなければならないのと、遠征が多く1年の半分以上は家にいない生活をしていましたので、女房には本当に負担を掛けたと思います。しかも、子供達が多感な時期に(長女15歳~22歳、長男10歳~17歳、次女7歳~14歳)単身赴任で7年も福岡に行っていた時期もありましたので、ほとんど母子家庭に等しい位で、女房には感謝の言葉しかありません。 学校の行事にも行ってあげる事もほとんどありませんでした。これは仕事とはいえ、子供達には寂しい想いをさせたなと反省しています。そういう私に、子供達は不満を言うことは一度もありませんでした。私がいないのが当たり前と思っていたのだと思います。私がいない中でも反抗期もなく素直に育ってくれたのは全て、女房の子供達に対する関わりが良かったからだと思います。 勿論、私が何もしなかったわけではありません。遠征先から毎日電話をして、女房と子育てに関する話やその日その日の子供達の出来事を聞いたりして、子供達の様子は常に把握していました。子供達とも電話で話をしたりして、寂しい想いをさせないようにしていました。家にいる時も、朝6時には起きて子供達が学校に行くまでの1時間~1時間半、コミュニケーションを取る時間にしていました。   勉強についてはどのような指導を? 勉強については、私が勉強をしてことがなかったので何をどう教えて良いのか分からないので、教えることはなかったですね。物心ついたときから野球が好きで没頭していましたので、言い訳ですが勉強する時間が・・・小学6年生までは学校での授業を聞いていたらテストの点数もそこそこ取れていたので、「これでいいや」と、勉強しなかったです。 しかし、中学生になって英語や古文などが増えて、途端に分からなくなりました。でも、野球がまあまあ出来たので、「野球で高校に入って甲子園に出て、スカウトされてプロに行こう」と、軽々しくノー天気に考えていました。 ですから、自分が勉強しなかったので、教えることはしませんでした。それより何か一つ好きなものを見つけてそれを追求して行きなさい。ということは言っていましたね。 ただ、自分が大学に行かなかったので、息子には大学に入って欲しいという想いがありました。ですから、教えることはありませんでしたが「勉強しろよ」とは言っていたと思います。これが良くなかったのか、大学には行きましたが勉強は好きにはならなかったですね。子供に「勉強しろよ」と言い過ぎるのは良くないですね。   今、子育てをしているパパやママにアドバイスを 子育てにはリハーサルはありません。常に本番です。親の欲求を押しつけるのではなく、子供にとって何が最善かを常に考えて支援してあげて欲しいと思います。そのためにも、夫婦が仲良くお互いを尊敬し合う関係を子供達に見せてあげて欲しいと思います。子供にとって、両親が仲が良いという環境が一番幸せなのです。 子供にとって親は人生最初の先生です。 親は子供のお手本となるような行動を取る事が大切だと思います。挨拶・返事を気持ちよくする。ルールや約束は必ず守る。礼儀や秩序を重んじる。そして、2つのジリツ。自立と自律が出来る子供に育てば、親の役割は果たしたことになると私は思います。 「自立」とは、自分で稼いで自分で生活出来るようにすることです。 自立するためには働き、そして、その対価としてお金をもらい、そのもらったお金の範囲で生活をする。これが社会の基本です。お金は生活する上においてとても大切なものですが、この大切な事を学校では教えてくれません。これが不思議です。学校で教えてくれない分、家庭でシッカリ教えることが大切だと思います。 お小遣いもむやみにあげるのではなく、お手伝いの対価としてあげるようにしておくと、子供はお金の価値が分かり無駄遣いをしなくなります。掃除をしたり洗濯物をたたんで部屋に持って行ったり、後片付けやお皿洗いをしたり、お遣いなど、お手伝いはたくさんあります。実際、私の所もお手伝いの代価としてお小遣いをあげていました。 それと、お遣いに行って10円・20円とおつりがあるとき、そのままお駄賃として渡すときがあると思いますが、私の所ではおつりはいったん受け取ってから、お駄賃をあげる時は「ありがとう、これお駄賃」と言って渡すようにしていました。これは、おつりを貰わずそのままお駄賃として渡す習慣がつくと、返さないでお駄賃としてもらうのが当たり前になってしまうと考えたからです。 私の所では、家庭内でのお金の貸し借りもキチンと精算するようにしています。他人行儀と思われるかも知れませんが、お金は多い・少ない、他人・身内にかかわらずキチンと綺麗にすることが、信頼に繋がると思うからです。周りの人からするとちょっと異常かも知れないですね。 「自律」とは、ものの善悪が判断でき自分を律する事が出来るようにすることです。 子供は、嘘をついたり・悪口を言ったり・ルールや約束を守らなかったり・意地悪をしたり・友達を叩いたりと、無意識にすることがあります。こういうときにキチンと教えることが大切だと思います。頭ごなしに怒鳴ったりすると子供が親に恐れを持ったり、反感を持つことになりますので、子供の言い分を良く聞いてあげて、親の気持ちを伝えることが大切だと思います。 「パパはママはこう思うよ」と子供に親の気持ちを伝えれば、物の善悪の判断が付くようになって、自分を律するようになると思います。面倒がらずに子供達と接することが大切ですね。 最後になりますが、子供をたくさん褒めてあげて下さい。 承認してあげて下さい。 一緒に楽しんで笑って下さい。 そうすれば子供は親を大好きになりますし、明るい未来が待っていると思います。     (尾花様 この度は貴重なお時間を頂戴し、掲載にご協力して頂き、誠にありがとうございました。)

第3回「私の子育て」インタビュー 柿谷先生×ぐるっとママ

2019.08.01

第3回「私の子育て」インタビュー 柿谷先生×ぐるっとママ

by ぐるっとママ編集部

「私の子育て」インタビューシリーズ、第3回目は、日本選択理論心理学会会長の柿谷正期先生です。日本に選択理論を広め、カウンセラーでもありながら男の子3人を育てた柿谷先生からのお話はどれも貴重なものばかりです。ぜひ一読いただき、子育ての考え方のヒントとしていただければ嬉しいです。 <柿谷先生の子育て家族構成> ご本人・妻・長男・二男・三男   思い出に残るエピソードを教えてください。 柿谷先生: 夏になると私は島根県出身なのでテントを積んで母に会いに行く。母に会いに行き、帰りは四国一周とか、九州一周とか家族でテントを広げて旅行したというのは思い出に残っていますね。 ただ二番目と三番目の子どもの歳が9年離れているので三番目はテントの体験というのはあまりないかもしれませんが、長男、次男はおそらく記憶にあるでしょうね。三番目の子育ては二番目が助っ人として入ってくる。二番目が三番目を育てたようなものです。お風呂に入れたりとかね。9歳違うと一人っ子という感じですよね。 思い出に残る失敗談。あんまり私、過去にかえらないので。これというのは特に浮かばないですね。仮にあったとしてもいつまでも執着するのではなくてあの時はあれで最善と思ってやったことだと。今は違う情報が入ってきて今は違う状況なので今だったらこうするというのはあったとしてもあの時は自分の持っている知識・技術を全部使って最善と思うことをやっているんですよね。そういう意味では子育てを振り返って失敗談は何ですかと聞かれてもすっと出てこない人もいるだろうし、そして仮に失敗だとしてもあの時はあの決断が最善だったわけです。そういう処理の仕方をするので私が聞かれても失敗談というのはあまりないかな?     中学の頃の反抗期はどのようでしたか? 柿谷先生: 一番上の子はちょっと反抗期ありましたね。 うちの家庭というのは当時、精神障碍者のためのグループホームをやっていたので家族だけというよりも子ども達にとって知らないお兄さん、お姉さんが我々家族の一員となって生活するというような稀な状況でした。家族だけの生活というようなことはあまりないんですよね。 そして中学卒業したらみんな、アメリカに送ったので。中学までの生活で二番目、三番目は妻も私も選択理論を学んで実践していたので、いくつかのハプニングはあったとしても反抗期らしいものは二番目、三番目にはなかったですね。選択理論を学んだ家庭で良く反抗期がないことを逆に心配する人もいますが、心配は不要です。 ある家庭で父親母親が選択理論を学んで接するようになったら、娘さん二人があるとき、「お父さん、私たち二人、反抗期ないと思うよ」って言ったというんです。つまり抑えつけることをしなければ反抗のしようがないですよね。だから案外早いうちから選択理論を実践している家というのは子どもの反抗期がいつだったろう、あっという間に過ぎてしまったという感じを持たれる方が多いんじゃないでしょうかね。私達もそんな感じでしたね。 3人のうちの一人がちょっと反抗的なことがあったというのはありましたが、うちの家庭状況がちょっと特殊な状況でしたね。 大磯ホームですね(先生の住居に精神障碍者の方を受けいれ共に生活していた) うつ病と診断される人やら、統合失調症と診断される人やら、人格障害、躁鬱、躁の人もいる。色んな人がいて。 家からよくなって出ていった青年が家に出入りをしていて何かの時に話があるって。それで外で話したいって。外?夜ですよね。それでじゃあ、近くにデニーズがあるからそこで話すか?って。デニーズに行こうとしたらこっちがいいって公園の暗闇に連れていかれるような感じでした。「そっちは行かないよって」言ったら、殴りかかってきてね、髪の毛がすっぽり抜けたりして。そういう事件が起こって。彼は警察に逮捕されました。親にも家庭では暴力をふるったことがあったみたいなんですけれど。 そういう事件がある中で子どもが育っていたので、ひょっとして家はどうしてお父さん、お母さんと子ども達だけという家庭ではないんだろうという思いを持っていた可能性がある。じゃあ、そういう家庭であったら良かったんだろうとは思わないんですね。子どもはあの状況の中で人に対する優しさを身につけたんですよね。 子どもが一度、アメリカで自分の購入した家に部屋がいくつもあるからってシェハウスみたいな使い方をしていた。そこに日本から来た人たちが住んでいました。一人変わった女の人がいたようです。普通だったら、家主さんはそんな人を受け入れないでしょう。でもうちの子は変な人に慣れていたから、その人とも仲良くやっていたみたい。それなりの優しさをあの環境の中で身につけたのだろうと思います。あれはあれでよかったんでしょう。 統合失調症と診断されていたD君という青年がいましてね、やはり統合失調症と診断されたT君。でもT君は普通の統合失調症じゃない。彼は低血糖症だったんです。学校の教師をしていたことがり、統一教会に入って、彼の人生が狂っていくんですね。そこから救出されてそして教員生活をしていたけれど、おかしくなったというのでおそらく血糖値がぐっと下がっている低血糖の状態で普通の生活が出来なかったんでしょうね。病院では統合失調症。それで入院させられてお尻に注射されて母親が会いに行くとぼーっとして体重も増えていく。この子、ここにいたら廃人になってしまうという母親の直感。母親はそういう時強いですね。そこから退院させるんですよ。それでうちの事を何で知ったのか知りませんが、うちに送ってきたんです。それで普通の生活をしていく中で非常に精悍な体つきに変わってきて統合失調症という診断は間違いだろうなというくらい、いい青年になって結婚しました。後に肝硬変か何かを患い亡くなりました。彼は後半は普通の生活をするようになりました。薬漬けの人は普通になるのはなかなか、難しい。薬をどうやって減らしてもらうかという問題もある。D君も癲癇(てんかん)の薬なんかも飲まされていましたが、ある日、脳波を測ってもらったら癲癇の脳波はありませんでした。それも徐々に減らしてもらって少しづつ良くなっていく。 そういう人たちと生活をしていたので長男にとっては彼なりの思いはあったと思います。彼が選択したわけではない。私たちが選択したわけですけど。人が選択したものに対応していくというのは誰にも必要なことですよね。彼はそこで彼なりのものは学んだと思いますね。優しさだろうなあと思いますね。 ご両親の事は相当尊敬されているんでしょうね。 父親はどういう人だって言われたらね、スーパーマンみたいな人ですって。何もかもいろんなことをしているでしょう。今は尊敬してもらっていると感じますが、反抗期の時はやはり見方は違うでしょうね。なんで俺の家はほかと違うって感じ。 すごい経験ですよね。 凄い経験ですよね。選んでもそんな経験は出来ないですよね。       勉強についてはどのようにお考えですか? 柿谷先生: 勉強については勉強しなさいと言うのは言わないようにしていました。 小さいときからですか? 小さいときから。 それでは勉強しないのではないですか? しないですよね。勉強しなさいと言わないとしないですよね。それも親は見ている。そういう余裕も必要かなと思うんですけど。 全く勉強に触れないわけではなくて例えば、中二の時に神奈川県ではア・テストというのがあったんですよ。結果によってどこの高校に進むかという三者面談があるわけです。私の亡くなった妻の寿美江は小学校一年生からずっと一番だったんですよね。小学校、中学校、高校ずっと一番。中学校卒業してアメリカに行って高校で一番。短大に行って二番とかね。それから、4大に行って大学院に行って。うちの子どもたちが勉強しないのを見ると「なんで私の子なのに勉強しないんだろう?」不思議でね。そのうち「あっ、これは私の遺伝子ではない。夫の遺伝子だ」そうわかってからは、落ち着いたみたいです。(笑) それでも勉強しろとは仰らなかったのですか?親は勉強しない子供に対して言いたくなるじゃないですか? あー、それは言いたくなったでしょうね。私のいないところで何言ってたか知りません(笑)特に私は勉強の事で何か、ガミガミ言っているような、そういう情景は思い出さないんですよね。 先生はそのような時、どのように感情をコントロールするのですか?  勉強は好きでなかったらしないですよね。当然ね。例えば好きな山登りをしろしろといえばおそらく山登り嫌いになりますよね。そういう意味で勉強しなさいと言うのは勉強嫌いの子どもを作るだろうと思っていたし、ただ何も言わないわけじゃなくて。 選択理論学んでからは中二の子に「君は高校どうするの?行きたいの?どの高校に行きたいの?」と聞いて当時大磯に住んでいて近くに大磯高校という県立の、そこに行きたいと。 私の頭の中では大磯高校はかなりレベルが高いから、このままでは行けそうにないだろうなと思うわけですよね。でもそれを口にすると問題になるので「大磯高校行きたいんだ?今の勉強の仕方で大磯高校に入れる?」と聞いたらね、入れそうにないっていうんですよ。それを聞いた後で「お父さんもそう思うよ」って。あとで自分の意見も言って「じゃあ、どうするの?」って言って。 リアリティセラピーでRWDEP。Rはリレーションで関係性良くして、Wはウォンツを聞いてどうしたい、その学校に行きたいかを聞いて、Dはドゥーイングで何をしている、どんな勉強に仕方をしているか。親ですから見ていれば勉強していないのはわかるからそこは別に聞く必要がないと。Eはエバリエーション、自己評価。今の勉強の仕方で高校に入れるの?って聞いたら。「入れない」「お父さんもそう思うよ」自己評価と親の評価が一致している。じゃあ、どうするかでP、プランするわけですよね。そんなやり取りはやったことあります。 彼はプランをどのようにされたんですか? その時は最初だったから、「今の勉強の仕方では大磯高校に入れない。」「お父さんもそう思うよ。」その時はプランまでいかなかったんですね。 お父さんにして欲しいことがあったらいいなよ、って様子を見ていたらあんまり変化がないので、また関係(R)が良いときに「大磯高校に行きたいって言っていたよね。まだ、そう思っているの?」って聞いたら「まだ思っている」って。「そう・・。今のテレビの見方で大磯高校に入れそう?」そうしたら、「入れない」って。「うーん、お父さんもそう思うよ。」それで今度はプランまで行った方が良いと思ってね、「じゃあ、テレビどうするの?」「うーーーん、うーーーん」考えているんですよね。何も考える必要ない事なのにね。「うーーーん」「お父さん決めてあげようか?」「いい、自分で決める」「じゃあ、どうするの?」って聞いたらね、「じゃあ、見たい番組が終わったらだらだら見ないで切る」「いい考えだねぇ、大人でもだらだら見ちゃうんだよね。テレビ番組制作している人はね、切るんじゃないよ、切るんじゃないよ。この次はもっと面白いから切るんじゃなーい、と。だから切るのって難しいんだよね。でも今度からは見たい番組終わったら切るんだね。いい考えだと思う。いつからするの?」そしたらね、「来学期から。」このあほって言いたくなりますよね。(笑)それは言わずにね。「来学期からやって間に合うのって?」あんまり押し付けていると思ったら身を引いた方が良いのでね。でもこれ君の人生だから君が決める事なんだよって。受験して発表の日に自分の受験番号、そこにあった!!やったー!!っていう感じ、経験してみたいと思わない?一方で、行ったけど、何度見ても自分の番号がない。残念!これも一つの人生だよね。きみが決めるんだよ。 そんな感じで高校受験はしないでアメリカに行きました。うちの子達、みんな。 彼はアメリカに行っても特に勉強好きなわけじゃないですよね。僕は勉強より体を動かすのが好きなんだってね、もう少しでサッカーのプロの選手になるかもしれないくらいやったんですよ。それで走るでしょう、サッカーは。そしたら高校の陸上をしている監督が見てね、「お前、走れ!」一度、800メートルで高校の中で何かの大会があっていつもこの男の子が一番になるっていう子を彼が追い抜いてね、学校中、センセーションを起こしたことがあったんですよ。それで800メートルで取り組めば、ひょっとしてオリンピックも夢でないとかね。それでも陸上は好きでないと。一人で走るわけでしょう。サッカーはチームですからね。 それでね、結婚して自分がどういう仕事に付いたら良いのか、考え始めてね。専攻はスポーツトレーナーとか、理学療法士とか専攻はそうだったのですが、会計士になると。 それで結婚してから夫婦は別々に住んでいたんですね。彼は仕事をLAでやって彼女は京都で仕事をして。それで妊娠したというのがわかって彼が京都に来て彼女は仕事を続け、彼は子育て。子育てをしながら料理を作ったり、子育てをしながら通信で簿記、税理士、公認会計士になる勉強を日本で始めて。 そして彼が会計事務所に勤めることに関心があるんだとわかってから、それではうちに来いってLAのある会計事務所の責任者の方に言われて、今度は向こうに行って彼が仕事をして彼女がLAに行って子育てをする。 彼は仕事をしながらCPAの資格を取ったんですよ。CPAというのはCertified Public Accountant、公認会計士。日本の公認会計士とはちょっと違います。日本の場合は税理士と公認会計士は別。アメリカの場合は公認会計士と税理士を二つともやるような感じです。日本の公認会計士はかなりハードル高いですけれど、アメリカはそれほどでもない。それをとって今はある会社で財務担当のマネージャーをしています。勉強しないでも必要がわかると勉強するんですよね。   彼が中学・高校の時、お父さんである先生との関りで得られたものは何ですか? 彼は勉強を強制されなかったことだと思うんですよね。必要になった時に自分で勉強を始めた。 三番目の場合は我々が勉強しなさいと言う必要がなく、一人でやっていました。そして日本に帰って高校で英語を教えたいって言いました。私が高校より大学で教えた方が面白いよ。自由もあるしって。じゃあと言って教えるに必要な修士号をアメリカでとって今、U大学で教えています。彼の場合はアメリカのグラッサークオリティスクールを卒業して日本に帰って仕事をしている。このような人はおそらく彼以外いないんじゃないかと。 まず、グラッサークオリティスクールを出た日本人が少ないですよね。 日本で中3を卒業したら本当は高一ですよね。でも日本の中3というのは向こうの高1なんですよ。日本の6年生はアメリカでは中1です。アメリカの中学校の3年間というのは日本の小学6年生、中学1年生、2年生まで。日本の中3はアメリカでは高1になります。高校4年生まであって、高校を終えるときは両方とも同じ。彼は日本の中3を終えて向こうの中3をもう一回やった。それから高校に進みました。だから一年遅れているというかダブっている。最後の卒業の一つ前の年に校長がインタビューして君はもし、今年卒業したいというんだったら卒業出来る。でもみんなと一緒に来年卒業したいというんならそれもいいと。そしたら息子は卒業したいと。ここは寒すぎると。(笑)ミシガンだったんですね。お兄ちゃんたちがカルフォルニアにいるから自分はそちらに行ってコミュニティカレッジに入りたいと言うので、丁度、日本でみんなが高校を卒業した時に彼も卒業させてもらって。それでコミュニティカレッジは2年間。次に4大に行って。それで大学院に行って。帰ってきて。博士はやっていないから。これは教えながら仕事をしながら博士をとるつもり。 先生の子育てで伝えたいということは押さえつけないという事でしょうか? 今、一人旅で孫が来ています。彼は勉強良くするんですよ。これから、四日市に行くという時に教会の礼拝の後だったのでじゃあね、バイバイって。タイガ君、あんまり勉強しない方がいいよって送り出した。アメリカで小学校に行っている日本人の子は日本語学校という土曜日にやっている学校に行きます。そこでも勉強するんですよ。そこの宿題課題があるので。それをうちに来てもしっかり勉強していましてね。タイガは親にこの次の土曜日、僕は日本にいるからその時の宿題を教えてほしいと。写メ撮ってね。そしたらそれをやるからって。私が勉強するなって言ったのになぁ。ラインのやり取りでね。そこにタイガが加わってきて、「勉強しているよ。グランパの言う通りに。」おかしいな?グランパは勉強するなって言ったのに。そんなやり取りをやりました。 勉強の面白さがわかるとほっておいてもやりますよね。A子さんの育った環境は女の子は勉強しなくていい。昔そんな時代ありましたよね。だからこっそり隠れて勉強する。大学なんてとんでもない。お金なんか出さない。それでも本人は大学受験して自力で大学行くんですよね。「するな、するな、女の子は勉強する必要ない」って言われれば言われるほど、勉強したくなる。そんな感じでね。 まあ、子どもに勉強しなさいっていえば、好きな山登りも嫌いになるのと同じでね。まだ、面白さがわからないのに勉強勉強って言ったらやっぱり好きになれないだろうなあという思いがあるのでね、それは勉強しやすい環境を作ってあげるとか、協力するとか、教えてと言われたら教えてあげるとか。そういうことを親はするべきだと思います。 「宿題はやったの?」とか「あんたがやっていないと親が恥をかく」なんて感じのことはしない方が良い。私なんか、宿題があるのかないのか知らない。やってなかったら学校で困りますよね。今の学校の仕組みの中では恥をかきますよね。その中で彼がどうするかを決めていくんです。恥かいてもいい勉強だと。 あなたの人生だからと。 そうそう。ただね、子育ての中で勉強しなさいと言われたので僕は勉強できるようになりました。という子もたまにいるんですよね。 逆に勉強しなさいしなさいって言われて反抗して勉強もしなかったし、悪い連中とつるんでしまったという人もいるわけですよね。 だから、大切なのは勉強ではなくてね、親と子のしっかりしたつながり。これがあればね、勉強は必要がある時にやるだろうと。 つながりというのはどのように作るのでしょうか? つながりは選択理論的に言えば、子どもの上質世界に親がしっかり入るということですよね。ど真ん中に入る。親の持っている価値観もそうなると子どもは大切にする。親は何かを言う時にこれを言うと子どもとの距離は縮まるか、遠のくか?と考えて遠のくことは言わない、しない。近くなることをする。そうすると良いつながりが出来る。 勉強について何も言わないのは私自身が満州で生まれ,戦後日本に帰ってくるときには難民だったんですね。ある意味では。私は小さいときの記憶ってないんですけれど、私が疎開して帰ってくるときには私が歩けなかったらおそらく置いて来られたと思う。私の下に妹がいるから、母が妹を前に括り付けて。 何歳の時ですか? 終戦の時が3歳の時なんです。 歩いたんですか? ですから、4歳か5歳。おそらく引き上げの最後の方だったと思うんですけれどね。歩かなければ帰れない。で私は歩いたというと姉がね、兵隊にならなかったよそのお兄ちゃんが歩けないというと抱っこしてくれたよって言ってましたけど。抱っこされながら歩きながら帰ってきたんですね。 小さいときの思い出がなくてね、小学校に入った時に字が書けなかった。読めなかった。あいうえお,すらわからなかった。今だったら学習障害、発達障害と言われる遅滞のグループに入るだろう。漢字書けない、ひらがな読めないって言ったら、積み木のところに連れて行ってもらって、それも「わーん」て泣いて何もしないで小学校に入れてもらった。終わって友達と家で遊んでいたら、友達に「こいつ、字書けなくてわーんて泣いてたぞ」って。まあ、普通そこからいじめにもなるんですけれど、そんなこと言われても、まあほんとのこと言われただけなんですけれど。ずっと漢字の書き取りも残され、勉強できない状態が小学校低学年までずっとありましたね。そういう人が大学教授になったんだから、大丈夫!。 先生が字が書けないことに対して親はどのようでしたか? 父親は戦争にとられて結果的には戦死なんですよね。帰ってくると期待しながら母親は4人の子を育てるわけです。子どもが手分けをしながら食事つくりをし、皿洗いをやるということをするわけですね。私は小学校の低学年から新聞配達をしたりして。子どもの勉強なんかを親が見る余裕ない。ただふすまのところにあいうえおが書いてあってね、丸がしてある。かきたに。そういうのを時々、やってたみたい。でも何か発達に異常があったんでしょうね。何にも残らなかったですね。今は子どもは保育園でも字書けるし読めるし。本も読める。そんな状態ではなかったですよ。おそらく、ぼーっとしていたんでしょうね。満州から引き上げるというのが、トラウマだったんでしょうね。勉強するようになったのは小学校の4・5年生。算数の時間にわかる人って先生が言ったらほとんどの人が手をあげていたみたいで私も上げていたみたいなんです。そしたら担任の先生が柿谷が手をあげてるってね、はいって、指名した。たまたまあっていたんですよね。答えがね。あの頃から、ちょっと勉強が出来るようになってきた。 もう一つ事件があるんですね。私の推測でね。これで私は勉強するようになったのかな?と思っている。大きな事件があるんです。 私の住んでいる家の隣の隣が同級生で畳屋さん。そこでよく遊んでいたんです。二階に上がって窓から出ると一階の台所の上がトタンだったんです。そんなに傾斜していない。そこに屋内配線が走っていてそこの子が、これ触るとピリッと来るよっていうから、ピリッ位なら試してみよう。屋内配線に触りました。何も来ないじゃない。いや、両方触らないとこないという。それでこちらとこちらを‥するとビリビリきてもう手がくっついて取れない。感電しちゃったんです。本当に取れないですね。両方を握ったから、プラスマイナス。取れないものですか?取れないですよ。小学校低学年というか4年生ですね。取れないですね。手が開けない。大声で泣いて。体全体にびりびりびりーーーという感じですよね。家と畳屋さんの間にある家がね、中国電力の社宅だったんですね。そこにたまたまおじさんが日中なのにいたんですよ。それで走って上がってきて、畳屋さんだから、堀こたつの小さい畳があるでしょう。それを持って上がってきて、トタンの上に置いて自分がそこに乗って一気にばっと引っ張ってくれたので助かった。手はここに穴が開いている。おそらくここから入ったんだろうって言われました。 その方は何でもなかったんですか? その人はこう引っ張ったから何でもない。あとで聞くとね、そこの男の子が同じことをやったって。感電したんですって。助けてくれた人が同じ人だった。二度目だから要領がわかっていますよね。こたつ用の小さな畳を置いてそれに乗って引っ張ってくれた。電気ショック療法ですかね。それから勉強できるようになったのかもしれない(?)(笑) そのあとはどうなったのですか? 具合悪かったですね。食事なんかできなかったです。一日くらい。もう少し遅かったら確実に死んでいた。触って離れない中でね。あーこれで私は真っ黒こげになって死んじゃうんだぁ。この隙間から飛び降りたら離れるかな?とか。そんなことや人の顔が走馬灯のように次から次と。その後ね、もう一回やったらもっと頭良くなれるかもしれないという誘惑、、、でも元に戻るかもしれない(笑) その走馬灯の中に勉強はありましたか? ないない、勉強なんて走馬灯の中には出てこないですよ。本当に死ぬ瞬間に近づいていましたね。 走馬灯の中に何が出てきましたか? 自分が生きてきた10年くらいでね。記憶の中にあるものはいろんな人の顔が浮かんできてやがて自分はまっ黒けになって落ちて死ぬんだぁ、というような感じでしたね。 やはりあの時に思い出すのは悪い思い出じゃないですね。いい思い出ですね。懐かしい人、優しい人、上質世界って狭かったからね。 よくぞ生きてくださいました。日本の選択理論があったかもなかったかもの瀬戸際でしたね。 そうなんですよ、だから私には私の任務があると思ってますけどね。         子育てをやり直せるとしたらいつの時代に戻りたいですか?またそれは何故ですか??   柿谷先生: これは私にはないですね。 まぁ子どもと遊べなかったということもないし。ある時間を使って子どもと関わったし。 ただもう少し早く選択理論を知っていたら長男との関係がね、彼が反抗する思いも反抗する事もなかったかもしれない。次男三男の時は選択理論的な親対応していた。もう少し早く知っていたらっていうのはありますけど。 でも自分の子育てで三人のうちの一人がちょっと反抗的にっていうのも経験としてはそういう経験がないよりはあった方が今の私の取り組みには現実味があるだろうという思いもあるので。 今はどの子ともいい関係が維持できているので、上の子なんかもすごい親思いの優しいとこがあってアメリカに今いるんですけど一年に一度は帰ってきて親の顔を見るぞーっていう思いを持っているみたい。こないだ帰ってきたからいいじゃないかっていうような思いもありますが、、、。9月にまた帰ってくるんですね、その前年は6月ぐらいに帰ってきてますから、帰って親の顔を見てっていうのを一年に一度は考えているような感じなんですね。行為から見るとね。あるいはそんなに長生きしないって思ってるのかもしれない(笑) 親孝行なお子さんですね 今の内だと思ってるのかもね。いつの時代に戻りたいかというのはないですね。       今の子育て中のパパやママにアドバイスをいただけますでしょうか。 柿谷先生: 子育てで色んな問題が起こってきますよね。必死に対応しきゃならない事とかね。でもそういうことを含めてね、子育てを楽しんでもらえたら良いのかな。勉強しないで躍起になって勉強させようとして楽しくないでしょう。あー、うちの子、勉強しない。宿題しないで叱られている。それを楽しむ。うちの子大物になるぞ。そんな余裕があったらいいですけどね。 選択理論を実践する。選択理論そのものは難しいものではないです。かなりシンプルなんですけど実践となると難しいと言われますよね。 子育てをしながら選択理論を実践し、こういう時にはどういう風に選択理論で関わるのかというクリエティブな対応が出来るようになると子育てを楽しみながらできるかなあと思いますね。 子育てをしているということは親が育てられているという事ですから基準になるような選択理論がなければ、おそらく迷うようなことが多いと思います。選択理論という立派な理論を実践していけば、親子関係のほとんどの問題を防げるし、対応できると思うんですね。これは子どもの問題なのか、親の問題なのかの区別をして。 勉強するしないって誰の問題?親の問題ではないんですよね。子どもの問題なんですよね。教師は親御さんに連絡してきてお宅のお子さん、宿題してこないんですが、何とかしてくださいって言ってきてもね、それに乗らない。あー、うちの子、宿題してませんでしたか?私宿題があるのか、ないのかも知りませんでした。でも宿題するかしないかは私の問題ではなくて先生と子どもの問題ですから、宜しくお願いしますって。先生が親を使って宿題をさせようとするのにはのらない方が良い。子どもと教師の問題でしょう。親の問題ではないですよね。でも教師としては親を使って勉強をさせたいというのが出てくるんですよ。教師も学ばなければいけないんですが、親の問題じゃない。教師と子どもの問題だ、と。 先生が今度は学校で叱るじゃないですか? もし、学校の先生が叱ってしまうんですって言われたらね、叱らない方法ってないですかねぇ‥って。私は叱らない子育て、叱らない教師。いていいと思うんです。世の中はよその子どもを叱る社会にしよう。叱ることが良いことのように言われているでしょう?でも私は叱らない方法で親も教師も子どもに接することが出来ると思う。教師は私は怒っているのではなくて叱っているって、主張する。先生が子どもたちに先生の得意なものって知ってる?って言ったら一人の男の子が「怒る事」とボソッと言った。叱る事なんて子どもは言わないですよ、区別付かない。怒られてる。 先生はそれを聞いただけでブチってきれそうですよね 私は怒っているのではありません、叱っているんです。でも子どもは怒られている、と。学校の先生は叱らない先生は立派な先生ではないと思われている。 私が一度、愛媛県松山市で「叱るって必要ですか?」という演題で講演した時に、教育委員会にもいて今は副校長をしている方が、あれを聴いてほっとしました。叱らない方法を見つければいいんですよねと、言われました。叱る代わりに自己評価を促す。それをやったらね、叱らなくて済むと思う。 自己評価というのは時々書き物で自己評価の高い子、低い子と言って自己肯定感の高い低いと同じ意味でつかわれていることがありますが、それとは違います。この間テレビの見ていた時自己評価という言葉を使いながら、自分を価値あるものと見ているかどうか。自己肯定感の意味で使われていた。自己評価は、自分で良いか悪いか、効果があるかどうかを判断することです。 (柿谷先生 この度は貴重なお時間を頂戴し、掲載にご協力して頂き、誠にありがとうございました。)  

第2回「私の子育て」インタビュー 青木社長×ぐるっとママ

2019.07.26

第2回「私の子育て」インタビュー 青木社長×ぐるっとママ

by ぐるっとママ編集部

「私の子育て」インタビューシリーズ、第2回目は、目標達成のプロフェッショナル、アチーブメント株式会社の青木仁志社長です。子育てでの思い出深いエピソードや、「もし戻るなら子育て中のどの時期か」など、興味深いお話をきいてきました。インタビュー最後には、子育てではどんな考え方が大事なのか、青木先生からママやパパへアドバイスです。 <青木社長の子育て家族構成> ご本人・妻・長女・長男   思い出に残るエピソードを教えてください。 青木社長: 私には娘と息子が一人ずつおります。まず娘の事から話をすると、一番記憶に残ってるのは、会社を創業して、経営が一番苦しかった時のことです。朝から晩まで仕事をしていたので、無認可の小さな保育園に、どこの家庭よりも朝早く預けていました。そして迎えに行くときには、一番最後。遅い時間に迎えに行くと、いつも一人遊びをしていた娘を見て、「一日も早く、もっと早く迎えに来られるようにしてあげたい」「頑張ろう」と強く思いましたね。決意を新たにしたことを鮮明に覚えています。一人で遊んでいる娘の姿は、今も目に焼き付いて、忘れられないですね。 息子に関しては、1歳半~2歳前から、日本でもトップクラスの幼児教育を受けさせようと考えて、親元離れて1ヶ月間、斑尾高原という山で行われる合宿に、預けたんです。その時息子はまだ年少さんで3歳ぐらいでした。そこに連れて行く時、息子が、離れたくないからと泣く姿を見て、やっぱり、強く後ろ髪を引かれる想いをしました。親の私の方が、胸がいっぱいになりました。だけどやっぱり、将来立派な人間に育ってほしいと思うからこその決断なわけです。離れるのは辛いけれど、あえて、そういった自立のための経験をさせるんだと。凄く自分なりに葛藤したことを覚えています。 それから、娘や息子を軽井沢にキャンピングカーで連れていった時のこともよく覚えています。実は、小学校の1年生ぐらいの時に「キャンピングカーで旅行に行こうね」って話していたことを、なかなか実現できていなかったんですね。そして、子供たちが中学校を卒業するまでに、やっと実現することができました。特に会社の創業期は、なかなか家族との時間をとることができませんでしたが、子どもたちとの約束は必ず守ることは徹底してきました。「これでお父さんは、全部の約束を守ったよね」って僕が確認をした時に、子ども達が、「パパは本当に全部の約束を守ってくれた」と、いうふうに言ってくれました。その言葉が、すごく嬉しかったことを覚えています。       中学の頃の反抗期はどのようでしたか? 青木社長: 娘には、「パパ、微妙」って言われて冷たくされましたね(笑)。グレる事はなかったけど、パパ微妙、とよく言われたものです。ただ、僕は娘を愛していましたから、なんと言われようと、正しさを押し付けたり、ガミガミ言ったりするようなことはせずに、娘を受容し、支援する関わりをし続けました。 それで娘が成人してから言ってくれた一言に本当にそうだなと思ったんですけれど、『もし、私があの微妙な時期に、ママやパパが私に正しさを押し付けていたら、こんな風に自分の人生はなってなかったと思う。どんな時でも、自分には安心安全な守られている場所があって、家に帰ってくれば自分はとにかく心に平安があった。それは、ママもパパも、私に正しさを押し付けずに、温かく見守ってくれたからだと思う。』と。この一言で、僕はすべての苦労が報われたように思います。だから、実はうちの息子も娘も、特に反抗期というのは僕から見ると無いんです。     勉強についてはどのようにお考えですか? 青木社長: 僕は一度も、子供たちに「勉強しろ」と言ったことがないんです。というのは、自分自身が貧乏な家に育って、早くから社会に出て十分な教育を受けていない人間なので、自分が出来もしないことを人にやれという事を言わない、というのが僕のモットーだからですね。勉強しろとは一度も言いませんでした。そしたら、子供たちは最初は本当に勉強をしませんでした(笑)。 だけど、二人共、アメリカに留学し、娘は自ら主体的に、勉強する目的や勉強する意味を見出して、奨学金ももらって、オールAで卒業してくれましたし、息子も全くCが無くって、AとBしかない成績で卒業してくれましたよ。 だから、あくまで子供たちの環境的側面を整えることしか、親には出来ないだろうと思っています。 僕は勉強しろという言葉は使わない教育をしてきました。本人が自ら勉強をしたくなるように、親としてどうそのための環境を整えるか、を考えて実行することが、親としての務めだと思っていました。       子育てをやり直せるとしたらいつの時代に戻りたいですか?またそれは何故ですか??   青木社長: それは息子の3歳までの期間ですね。何故かというと、当時ベビーシッターを雇っていたんですよ。そのベビーシッターさんが、僕の目を盗んで、子供たちにお菓子をやっていたんです。人柄は良かったけど、子供たちに言うことを聞かせるために、お菓子を与えてしまっていたわけです。これが一番の僕の失敗ですね。そのお陰で、息子はお菓子好きになってしまいました。これは頭にきてるわけです、そういう事言っちゃいけないんですけど(笑)。そのベビーシッターさんが、人柄は良かったんだけれど、お菓子を食べさせる人間だったわけです。僕がお菓子を食べないのは何故かっていうと、子どもの頃お菓子を食べたことがほとんどないからです。貧乏な家に育ったので、お菓子を願望の中に入れることがなかったわけです。この時に戻れたら、同じベビーシッターさんを選ばないですね(笑)。   今の子育て中のパパやママにアドバイスをいただけますでしょうか。 青木社長: シンプルに正しさを捨てたほうがいい、ということでしょうか。はっきり言ってしまえば、子どもというのは、天から養育を任された存在です。決して親の所有物ではないわけです。私物化しない。そして天から預かった我が子を、立派に育てあげるという役割を果たしてほしいと思います。 (青木様 この度は貴重なお時間を頂戴し、掲載にご協力して頂き、誠にありがとうございました。)  

第1回「私の子育て」インタビュー 佐藤英郎先生×ぐるっとママ【後編】

2019.06.21

第1回「私の子育て」インタビュー 佐藤英郎先生×ぐるっとママ【後編】

by ぐるっとママ編集部

「私の子育て」インタビューシリーズ、佐藤英郎先生の後編です。前半では家族会議ついて語っていただきました。後半は反抗期や受験、現在育児中のママパパたちへのメッセージを語っていただきます。子育て世代のママやパパにぜひとも一読してほしい内容です!   「子どもは、親が言っているようにはやらないけど、親がしているようにはする」 <佐藤先生の子育て家族構成> ご本人・妻・長女・長男・次女   お子さんの反抗期はありましたか? 佐藤先生: 反抗期はなかったですね、3人とも。 僕は妻に感謝しているのは、僕はほとんど家に居なかったんですけど、子どもとワイワイ話している時に、ママは僕の事を「日曜もいない、土曜も仕事しているけど、パパは素晴らしい人よ。本当にパパは素敵な人なのよ。君たちがいるのはパパのお陰よ」っていつも言ってくれていたんですね。 それをあとで子ども達に聞いて、それは妻に感謝しています。だから多分親に対する尊敬になっているんじゃないかと思いますね。 そうですね…。あの、忘れられない事があって。 将平が中学1年か2年の時に家族でワイワイ話している時に、ママに対して「ウザイ」って言ったんですよ。 そのことをすごく鮮明に覚えていて、その時に私は、もう絶対ここはもう本当に叱らなきゃいけない、将平何事だって言って座れって土下座させて30分ぐらい叱ったんです。 「ママに対してうざいとは何事だ」と、「ママは世界一お前のことを愛しているんだぞ」と、「何よりもパパにとって世界一大切な人だぞ」と、「その人に対してうざいとは何事だと二度と言ってみろ」と言ったのは記憶があって、その時娘たちもママも将平もぴーぴーぴーぴー泣いて、家族全員で泣いていました。もう泣きじゃくって。将平がごめんねって言ってママに対してそれ以来、そういう口の利き方をする事は全くないですね。 -そのうざいって言った時に、彼の意見は聞いたのですか? 聞きました。 どうしてそう思ったんだ?聞くと、洋服を、スポーツをやっていたんでいつも洗濯物に入れるときに、カゴに入れといてねって言ったんだけどカゴに入れないで自分の部屋に置いた。それでママがいちいち取りに行って、将平に何回か言ったらしいんです。その時も「将平洗濯物は脱衣所のカゴに入れといてね」っていうふうに、多分そんな感じだったと思うんですね。その時にウザイって話で。 だからどういう時に絶対叱ったらいいのか、どういう時に叱らなければならないのかっていうのは親としてすごく大事だなって思います。 育て方で子どもにこうなって欲しい、基本的なことに関わることに対して父親は凄く叱る。でもあまりそうでない場合は叱ったことはないです。 -それは常日頃先生が叱らないから驚いたっていう事もありますか? 叱らないっていうのもあるし、話を聞いてあげたのもあるし、それからママはパパにとって大事な人なんだぞと、君たちのお母さんなんだけどパパにとっても大事な人だからねっていうのは言っていたことが大きな要因だと思います。   勉強についてどのように指導を? 中学受験、高校受験、大学受験と3回受験させるのはちょっとどうかなと、普通受験だとだいたい、、、場合によっては小学校受験もあるんだけど、受験をあまりさせたくなかったんです。 それで受験は2回でいいんじゃないかって考えて、中学受験させて中高一貫に入れてそして大学受験、というふうにして2回だけって妻と話をして、そうしようって。 ですから私立の中学に入れようっていう話をして子ども達とも話をして、だから中高一貫に入れて大学行きたければ大学受験って、2回の受験にしましょうって、どう?って。 子供たちも分かったかどうか分からないけど、そうするって言って。ですから小学校は全部公立入れたんです。 中学受験で長男は、中高一貫の海城中学、海城高校行って、長女が渋谷教育渋谷学園です。 一番下の子は立教女学院へ行きました。立教女学院は大学まで一貫しているとこだったんで、受験は中学の立教女学院の受験だけでした。 -受験が二回、高校の時はしないって理由は何かおありだったのですか? 受験っていうのは人生で凄く大事だけれども、もっとおおらかに生きて欲しかった。受験受験ってカリカリさせたくなかった。 僕は司法試験10回落ちているのでその時の自分を考えると精神的にずっとすさんでいたというか、いつもそういうこと考えていてあんまり他の世界が見えなかった。 だから受験は大事で乗り越えるべきハードルだけれども、1回か2回でいいんじゃないのと、っていう感覚だった。あんまりたくさんさせたくなかった。     もし子育てをやり直せるとしたら、どの時代ですか? 佐藤先生: 子ども達の小学校時代、幼稚園か小学校時代に戻りたいですね。そしたら今度は子どものイベントには全部参加したいですね。 思い出が僕にはないんですよ。授業参観には一度も行ったことはないですね。 子どもの運動会、幼稚園に1回だけ行った思い出が強烈なのが残っているの。上の子の幼稚園に行ったのかな、その時写真があるんですけど、子どもをおぶったり走ったり、すごい全力疾走で走ったり、保護者のなかで一番張り切っていたらしいんですよね。 それから将平の大学の東京外国語大学の文化祭に一回行ったことがありました。あと一番下が立教大学のダンス部だったのでその時に発表会を見に行ったことがあります。 それ以外全くないので、僕の中には小さい頃の思い出は家の中の思い出しかないので、子ども達は不満を言ったことないけど私としてはもう一回、そこからやり直したいなって気持ちはありますね。 今はふた月に一回とか、家族全員で集まるイベントをやっているんですね。3人の子どもと娘も旦那も。 小春日和会って言って、小春日和って言うのはワンチャンで、小春と日和っていう二匹の犬が居るので小春日和会っていうLINEを作っていて、そこでふた月に一回食事するだけですけどね、どこか外で全員で集まって食事する場合もあるし、家に来て食事をする場合もあるし、家族全員が集まってただワイワイワイワイ、昔の家族会議の続きですね。僕はあんまり話聞いているだけで「へへへ」って笑っているだけなんですけど。 年に一回は家族全員で泊まり込みの温泉に行くんです。そのお金は僕が全部出すので、そこに行こうって言って、それだけはパパのお願いだからって言ってそこには皆来てくれますね。     さいごに、今の子育て中のパパやママにアドバイスをお願いします。 佐藤先生: 私はアチキッズという子ども研修もやっているんですけど、子どもさんにとっての最大の良い環境は、「親が仲良くしている」事で、一番大事と思います。 親が喧嘩したり仲が悪いっていうのは子どもに対して本当に伝わっていきます。そして子どもは親を責めることはしないので、子どもによっては自分が悪いからだって思います。あるいは親が仲悪いと子どもの脳の発達が遅れたりとか、色々な障害があるので、親がやっぱり仲良くしているっていう環境が一番。 子どもは親が言っているようにはやらないけど、親がしているようにはするので。 だから必ず挨拶をする、おはようって言うとか、お互いパパとママがありがとうって言っていると子どももありがとうって言えるようになる。 それから子どもたちはいつも家で本を読んだり、勉強をしたりする私の姿を見ていたので、勉強に関しては抵抗なかったと思うんですね。 そういう風にしてやっぱり子どもは親が言うようにはなかなかやらないかもしれないけど、親がやるようには絶対やるので、それが最大の教育の環境になります。その辺は親は、自分が子どもの目から見てどういうふうに写っているかというのを注意したほうがいいと思います。     (佐藤先生、この度は貴重なお時間を頂戴し、取材にご協力して頂き、誠にありがとうございました。)     【前編】はこちら     

第1回「私の子育て」インタビュー 佐藤英郎先生×ぐるっとママ【前編】

2019.06.21

第1回「私の子育て」インタビュー 佐藤英郎先生×ぐるっとママ【前編】

by ぐるっとママ編集部

「私の子育て」インタビューシリーズ、記念すべき第1回目は、アチーブメント株式会社で多くの受講生を幸せと成功に導いている佐藤英郎先生です。ぐるっとママ代表の山本とは十年来のお付き合いです。セミナーの中でもためになる子育ての話をきくことはありますが、子育てだけをテーマにお話をきくのは今回がはじめて。夫婦関係や家族会議、子どもの反抗期、受験についても語っていただきました!子育て世代のママやパパにぜひとも一読してほしい内容です!   <佐藤先生の子育て家族構成> ご本人・妻・長女・長男・次女   思い出に残るエピソードを教えてください。 佐藤先生: 子どもが出来た後、 ・夫婦喧嘩は絶対しない ・朝起きたら必ず挨拶をする ・お互いに「ありがとう」という言葉を使う ・家で一番稼ぐのは私 ・家で一番偉いのは私 ・最終決定権は私  と妻と約束をして我が家の子どもを育てる方針を決めました。 一番重要に考えたのは、妻は素敵な女性で大好きです。そして、仲良くしたいということです。 元々喧嘩はしないけれど、絶対子どもの前で喧嘩はしないと言うことを約束して、妻も了解してくれました。 お互いにそれが子どもを育てる上で一番大切と考えたので、それ以来、結婚して35年になりますけれど、お陰さまで結局子どもの前であろうが子どもの前でなかろうが妻と喧嘩した事はありません。 それは子どもにとっても良かったと思います。 今でも子どもたちはパパとママって本当に超仲良いよねって、それを自慢にしてくれます。       失敗談、反省点を教えてください。 佐藤先生: これは反省点ですけど、実は私は結婚した年に会社を作って立ち上げましたので、土曜も日曜も働いていました。公開研修は当時、金・土・日でやっていました。 ですから、実は私は子どもの授業参観とかですね、運動会とか、それから学芸会とかそういう子どものイベントに参加した事がほとんどありません。 それはね、本当に今になって思うとあの…残念だったなと思います。 当時、私としてはとにかく稼いで収入上げて会社を軌道にのせて、家族を養うのは私の仕事だって考えていたので、妻もそのことに対しては何の不満も言ったことはありません。 土・日も仕事に出ていましたが、それについて何かこうして欲しい、ああして欲しいって妻に言われたことはなく、お互いに暗黙の役割ができていたと思います。   -お子さんたちにどうしてパパ来なかったの?とは聞かれませんでしたか? 妻が、パパは皆のためにちゃんと仕事しているから来られないんだよ、と。 他のパパはどうして来ているの?とか子供たちから聞かれたようですけど、それはうちのパパは土曜も日曜も皆のために働いているのよって言っていてくれたので、子供たちに質問されたり、不満で言われたことは一度もないです。 でも私は言っていたのは「パパにとってはママが一番で君たちみんな二番だよ」と。 そうすると子ども達がワーっと来て「ねぇねぇ私とママのことどっちが好き?」とか「誰が一番好き?」とか聞きてくるのですね。 「えー!一番じゃないの?」なんて言われても「一番じゃない二番だよ」っていつも言っていました。僕のこう見方かもしれないけど、「えー!」って言いながら嬉しそうな顔をしていました。 -のちのちその影響はどのようなところに出たと思われますか?  子どもたちは妻をすごく大切にします。自分の母親をね。すごく3人の子どもと妻は仲が良いです。 何でも今でも相談するし、私は仕事とかで出ているんですけど、子ども達は家にしょっちゅう遊びに来ているし、妻と3人の子どもはめちゃくちゃ仲が良いです。 それはきっとそういうことが影響あったんじゃないかなと思います。       「子どもは勉強するべき」とか、「なんでゲームばかりやっているの」とか、子どもに対しての躾(しつけ)についてはどうされていらっしゃいましたか? 佐藤先生: 下の子が小学校入るあたりからずっとやっていたんですけれど、それは「家族会議」です。 私が家族と一緒にいられるのが日曜だったので、研修が終わったあと日曜の夜は、絶対スケジュールを入れませんでした。 家族は僕が家に帰ってくるまで食事を待っていてくれて100%家族と食事をしていました。 そして実は家に白板が置いてあって「今週の議題」みたいなのが書いてあって、それは子供たちも書くし、親も書くんですよ。 例えば「将平の部屋が散らかっている事」とか。それから「携帯が欲しい」とか。子ども達が自由に書いています。それが議題になるんです。そうすると食事が終わるとコーヒー飲みながら、お茶飲みながら、ジュースを飲みながらみたいな感じでその会議が始まるんです。携帯が欲しいとか、それからもっとお小遣いもっと上げて欲しいとか、っていうふうに話が始まるんですね。 その時に私がどういうスタンスを持っているかというと、【100%聞く】ので、パパどう思う?と意見求められてもあんまり自分の意見を言いませんでした。 そうすると子ども達が色んなディスカッションして、パパが「そうだ!そうだ!」とか、「もっと詳しく聞かせて」とかって促していくと、子どもたちは色々意見を言うので、将平の部屋が散らかっているとか、親が言わなくても子どもたち同士であの部屋散らかっているよとか。 今でも覚えていますが、娘が物取りに将平の部屋へ行った時に、将平の部屋からエロ雑誌が見つかったんです。小学校5年か6年の時だったんですけど。 エロ雑誌見つかった、パパこれでいいの?って言うので将平がえらい反抗しちゃって「いいじゃないか、まだ見てないよ」とか「これから見るんだ」とか、色々言っていましたけれど、子供たちの間でそう言うやりとりをさせていました。 家族会議は途切れることなくずっとやっていて、子ども達が結婚するぐらいまでやっていたんじゃないかな。 うちは大学終わったら家から出す方針だったので、大学出たら自分でやってね、家に入れないよって。近くから通っても家から出すからねって。僕はパパとママと二人になりたいって言って、子どもも大学出るまで家に居ましたけどそれまで家族会議はずっとやっていました。 だから、日曜日の夜はもう本当にそういうものだってなっていたので、食事が終わってもみんなテレビもつけないし、なんだかんだ話したりして、時には夜10時、11時、12時まで、なんのかんの家族でワイワイワイワイ話していました。多分、子供たちにとってはそこで色んなルールが決まっていきました。   -それ(家族会議)は何十年も続いていると子ども達の育成というか性格であったり生き方であったりかなり影響すると思うのですが、例えばどんなもの、これはこの影響だなって感じるものはありますか? 例えば子ども達が物欲しいって、例えばパソコンとか、あるいはスマホが欲しいとかっていう時に、それも議題にあげたんですね。 子ども達はママに対して下交渉していてパパこれOKしてくれるかな?とか約束として大きな決定はパパが了解しないとダメだってなっていたんですよ。 ママももちろん普段買い物とか全部やっちゃいますけど、ちょっと高いものとか高額なものはパパが決定しないとダメだよってなるのでそれで子ども達は家族会議で私にプレゼンをするんです。何で携帯が欲しいかとか時には文章書いてきてそれを読んで、プレゼンするんですよ。 だいたい理由は「他の子達が皆持っている」って言うんですね。それが基本的な理由が多かったかな。 でも私は、他の人が持っているんじゃなくて、君にとっての必要性が何かよく分からないので来週もう一回プレゼンし直しとかね、結構突き返したりしてましたんで。「わかった」と子ども達もそういうものだと分かっていたんでそういった点では論理的な思考力と言うか、自分で勉強する力とかそういうのが相当ついたんじゃないかって思うし、本人達もそれは仕事に役に立ってると言いますね。     先生は家に帰ったらどんな感じですか?   佐藤先生: 妻に言わせると「あなたは何もできない人」です。 仕事以外のことで例えば、電球取り替えてって言っても、こういう電球買ってきてって言われても違う電球買ってきたり。一度、扇風機をしまうから分解しといてって言われて本当に分解したことある。 「あなたにはもう頼まない」「あなたはもう自分のやりたいことだけやってて」って「家のこと私が全部やるから」って。 妻から言わせると僕はきっと何もできない人なんじゃないですか。   -お孫さん達に対してはどうですか? いや、もうデレデレですね。 デレデレで何でも買ってあげたいって気持ちもあったりとか色々してあげたいとか、孫が2歳半ですけど、娘夫婦の方針があるので妻が色々買ってあげたりとかしょっちゅう遊びに来ているので何かやったりしているみたいですけど、私は買ってあげるとかはしないです。妻が買えばいいわけだから。 -お子さんとお孫さんの育て方は違いますか? 僕自身はあまり変わらないです。 -子ども夫婦が自分の育て方と違う時はどのようにされていますか? ほっときます。私は全然、何も口出ししない。それは子ども達のやり方なので。 うちの子どもたちは僕の育て方とすごく似ている。とっても優しいので、子どもをあまり叱ったりしていませんね。 それで孫も2歳半だけど結構言うこと聞いていていい子に育っているのかなって。まだ分からないですけどね。声荒げて怒るとかそういうことはしているのは聞いたことはないです。   【後編】に続きます